車折神社

【くるまざきじんじゃ】

祭神は清原頼業。平安末期に大外記として朝廷に仕えた能吏であった。その死後、清原氏の所領(現在の社地)に廟が建てられていたが、時代が下り、後嵯峨天皇の大堰川遊幸の際にこの廟前で突然牛車が止まって轅(ながえ:牛車の前につけられた2本の長い棒)が折れてしまったため“車折大明神”の神号を賜り、崇敬を集めるようになったとされる。あるいは、ある人物が乗った牛車を引いていた牛が倒れ、車の轅が折れてしまったとの伝説も残されている。

『都名所図会』では、商家が売買の値段の約束を違えないよう社に祈り、小石を持って帰って家に置き、満願の際に石を倍にして返すという風習が紹介されている。これは現在でも“祈念神石”という名でおこなわれており、境内には満願成就のお礼に返された石が積み上げられている。同書では、この地が五道冥官降臨の地であり、冥官が閻魔庁で善悪を糺し、違えずに金札・鉄札に死者の名を書いて地獄極楽行きを決めることになぞらえた風習であろうとの推論を立てている。またこの風習を広めたのは祇園や先斗町辺りの女将達であり、神社で借りた“神石”を神前に供えて毎日願を掛け、成就すると近くの河原で石を拾ってお礼の言葉を書いて“神石”と共に奉納するという作法を作り上げたとも言われる。それが口伝えで客の商家の旦那衆にも広まって「売り掛けの約束」というご利益に繋がったのであろう。ちなみに祭神が頼業(よりなり)公なので、金が“より”、商いが“なり”に引っ掛けているとも言われる。

また境内社の一つでありながら全国的な知名度を誇るのが、芸能神社である。祭神は、芸事の神とされる天鈿女命。創建は意外に新しく、昭和32年(1957年)となっている。この地の東にある太秦には東映や松竹の撮影所があり、映画産業の隆盛時以来、多くの芸能人がこの神社にお忍びで参拝したり玉垣を奉納しており、現在でも約2000あるという玉垣には有名芸能人の名前がずらりと並んでいる。その光景は圧巻と言うべきであろう。

<用語解説>
◆清原頼業
1122-1189。漢籍や儒学に明るく、博覧強記であったとされる。24年間も大外記(朝廷の公事を記録して執りおこなう職)を務め、特に九条兼実の信任篤く「その才、神というべく尊ぶべし」と評された。

◆後嵯峨天皇
1220-1270。第88代天皇。在位は1242-46年。上皇となって院政を敷くと、鎌倉幕府との連携を強めて朝廷の安定化を図った。

◆五道冥官/金札・鉄札
五道とは天・人・畜生・餓鬼・地獄という、人の善悪によって行く道のこと。五道冥官は、その五道にある者の善悪を裁く冥府の役人である。
そして冥官によって、善行のあった者の名は金札に書かれ、悪行のあった者の名は鉄札に書かれて、それぞれ極楽地獄へと送られることになる。

アクセス:京都市右京区嵯峨朝日町