道風神社

【とうふうじんじゃ】

千本今出川を起点とする府道31号線は、そこから北へと延び、鷹峯を経て京北方面に通じる。鷹峯から山間に入ると道は一気に狭くなり、やがて京見峠を越えて西賀茂地区から杉阪地区へと入っていくが、その地区の境界辺りにあるのが道風神社である。

交通の便が悪い山間部であるため市街地から距離があると思われるが、緯度的には鞍馬や貴船よりも南に位置し、左京区市原とほぼ同じぐらいである。そしてこの地も市原などと同じく、小野氏の所領であった。

道風神社の祭神である小野道風は、父が杉阪一帯を領した小野葛絃、祖父が小野篁という小野氏の系譜に繋がる人物であり、「三蹟」の一人に数えられる能書家として有名である。伝承によると、26歳で能書が認められ朝廷に出仕する身となると、道風はこの杉阪の地を父から譲り受けて住まうようになり、ここから内裏へ通いつつ書の修行に励んだという。この時に社が産土神として建てられたものとされ、道風の死後に祭神として同地に祀られたと考えられている。なお神社の境内には“積翠池”と呼ばれる湧水があり、道風がこの池の水を使って墨を摺ったと伝えられ、今でもこの池の水を使って書を書くと上達するとされている。

<用語解説>
◆小野道風
894-967。小野葛絃が尾張国(現・春日井市)に赴いた際に里の女との間に生まれたとされる(江戸時代頃より定着した伝承とされる)。若い時から能書家として広く知られ、朝廷の命によって文書清書や扁額揮毫などをおこなった。柳に飛びつこうとする蛙の姿を見て、書への精進を奮い立たせたという逸話は有名で、花札の絵柄としても広く親しまれている。

◆三蹟
平安時代中期に登場した、3名の能書家を指す。小野道風の他は、藤原佐理(948-988)・藤原行成(972-1027)とする。

アクセス:京都市北区北坂道風町