むかえ地蔵
【むかえじぞう】
安芸国一之宮の厳島神社がある宮島は、古来より“神の島”として島そのものが信仰の対象となっていた。この島の正式名称である“厳島”の名も“斎(いつ)く島”からきているとも言われる。
このような経緯から中世頃まで宮島には人が定住してはならないとされていたが、厳島神社参拝などの事情から少しずつ島に暮らす者が現れるようになり、江戸時代には“宮千軒”と呼ばれるほどの人が定住するようになった。ただその代わり、島民には厳しい生活上の禁忌が決められた。例えば、全島神域であるが故に、島の草木を勝手に採ったり伐ったりすることは禁じられ、神使である鹿を傷つけることも禁じられた。さらには不浄ということで、産気付いた妊婦は島を離れて対岸の集落の産屋で出産、さらに100日間の滞在生活を強いられた。また神の土地であるため農耕は一切禁止、また機織などの作業もおこなってはいけないとされた。そして最大の禁忌は、島の者が亡くなっても島に埋葬してはならないとの決めごとであった。
島民が死ぬと、その亡骸は宮島の寺院で葬儀を済まして舟で対岸へ運ばれ、旧・大野町の赤碕地区にある延命寺の島民用墓地に埋葬されることになる。この亡骸を運ぶ際に必ず立ち寄ったのが“むかえ地蔵”と呼ばれる一体の地蔵である。この地蔵は宮島口の海の中に立つ地蔵で、亡骸を乗せた舟はその周りを何度か回ってから浜に着けるのが慣習であったという。即ち亡くなった者が埋葬地までちゃんと辿り着けるよう迎え導いてくれるお地蔵様として、島民に篤く信仰されていたのである。
現在、この地蔵は陸に揚げられ、さらに宮島口一帯の整備に伴い海から少し離れたあまり目立たない場所に置かれている。しかし丁重に祀られた地蔵に今でも宮島の人々は花を手向けているという。そして宮島にあった数々の禁忌の多くは、明治以降解かれている。ただ埋葬に関しては未だに延命寺の墓地で執り行われており、宮島の島内には一基の墓も建てられていない。
<用語解説>
◆延命寺
曹洞宗の寺院。寺伝では天文元年(1532年)の創建とされ、宮島の島民の願いによって建てられたとされる。
◆宮島の人口
令和2年(2020年)の国勢調査では1453人。人口は減少傾向にある。
アクセス:広島県廿日市市宮島口