入鹿神社

【いるかじんじゃ】

蘇我入鹿を祭神とする唯一の神社であり、保存会によって管理されている。隣接する旧普賢寺(現在は国重要文化財である大日堂のみ現存)の鎮守であったともされるが、創建にまつわる来歴などは不詳である。この一帯が蘇我氏の本貫とされ、隣の曽我町には蘇我氏の祖神を祭神とする宗我都比古神社がある。また入鹿神社のある土地に入鹿の母の居宅があり、所縁の地であるの説もある。しかし、乙巳の変で斬られた入鹿の首が飛んできて落ちた場所に創建された、あるいは鎮魂や慰霊の目的を持つという説は強く否定されている。ただし、首を刎ねられて憤死した者の霊を祀る社に多くあるように、首から上の病に効験があるとされる。

蘇我氏、特に入鹿は専横の振る舞い激しく、天皇に成り代わろうという野心があったとされるため、昔から逆臣とみなされてきた。そのため、明治23年(1890年)に近くに橿原神宮が創建される際に、祭神を素戔嗚尊、社名を小網神社とするよう政府から働きかけがあったが、地元民の反対が多く、結局頓挫している。

現在も保存会が中心となって管理しており、贅を凝らしてはいないものの、常に整然と管理されていることが一目で分かる、今なお近隣の人々から崇敬される非常に気持ち良い場所であった。

<用語解説>
◆蘇我入鹿
?-645。皇極天皇即位(642年)以降、父の蝦夷から政権を移譲される。その後山背大兄王一族を自害に追い込むなど、数々の“専横”が『日本書紀』に記されているが、誇張や歪曲があるとの指摘もある。
645年、反蘇我氏勢力である中大兄皇子・中臣鎌足らによって、宮中大極殿にて皇極天皇の御前で暗殺される(乙巳の変)。その時に首を刎ねられたことから、「入鹿の首塚」と称されるものが各地にある。ちなみに小網町の隣の曽我町には、首が飛んできて落ちたという“首落橋”がかつてあったとされる。

アクセス:奈良県橿原市小網町