六地蔵

【ろくじぞう】

平成23年(2011年)3月11日に起こった東日本大震災で日本中が恐怖の内に夜を迎えた、翌12日午前3時59分。長野県栄村と新潟県津南町の県境付近を震源とする、マグニチュード6.7の大地震が発生した。「長野県北部地震」と名付けられた、栄村で最大震度震度6強を記録する大地震だった。東北で起こった地震と津波の被害が把握出来ない状況で、半日ほどで異なるエリアでで地震が発生した衝撃は大きかった。

飯山市照岡は市の北東部に位置し、栄村が東に隣接する地域である。中でも西大滝地区は栄村との境界まで1km程しか離れておらず、飯山市内で最も栄村に近い場所にある集落である。その地区内を東西に走り、飯山市と栄村を直結する県道408号線沿いに、六地蔵は置かれている。

正確に言うと、1体の座像と6体の立像、計7体の地蔵が工事などの都合で、火葬場の跡地に移設されたものらしい。1体に文化10年(1813年)と刻されてそれなりに古いが特に文化財の指定もなく、集落の人々が管理をしている、何処にでもあるような路傍の地蔵である。ところがこの地蔵が大震災の直後に不思議を見せたことから、一躍有名な存在となった。

これら全ての地蔵はそばを流れる千曲川の方向、南を向いて置かれていたのだが、震災直後にそのうちの立像6体が倒れることもなく全て90度ずれ動いて東の方向を向いていたのである(座像1体だけは当初から台座をコンクリートで固めてあったため動くことはなかった)。しかも東の方向は、地震の震源地である栄村の方向である。そのため誰言うともなく「災害の被害を最小限に抑えた、お地蔵様の奇瑞」とされ、テレビや新聞等で大いに喧伝されたのである。実際初動の震度6強を始め、発生から2時間で3回もの震度6クラスの揺れを記録したにもかかわらず、地震による直接死者はいなかった。

復旧に伴い何度か元の向きに戻そうかという話が持ち上がったが、現在もなお栄村に向いたままの姿で6体の地蔵は立ち続けている。

<用語解説>
◆2011年長野県北部地震
前日の東日本大震災の地殻変動が原因ともされる地震。震源地のある栄村で震度6強、隣接する津南町(北側)で震度6弱、野沢温泉村(南側)で震度5強、飯山市(西側)で震度4を観測する。被害は震度の大きかった新潟県側に多く、津南町・十日町市・上越市に比較的集中している。最終的に死者は3名(全て栄村内。震災後の関連死と認定)、負傷者約70名、家屋の全半壊約400棟という被害となった。

アクセス:長野県飯山市照岡