かまとこ地蔵
【かまとこじぞう】
西植田町の中心街を流れ春日川に合流する葛谷川に沿って、上流に向かって南進する道がある。それを道なりに進むと「かまとこ地蔵」の案内板がある。
屋島の戦いがおこなわれた直後、この葛谷川を遡るように隠密に移動する数名の兵があった。源氏に敗れた平家方の兵の一部が海に逃れることが出来ず、そのまま讃岐山脈を目指して南へ落ち延びたとされる。これらの兵もその平家の落人であった。既に何度も源氏の追っ手の襲撃を受け、いつの間にか大半の者は討たれたりして散り散りになっていた。だが、葛谷川を遡上する頃になるといよいよ平野から山間部に差し掛かり、何とか敵の目から隠れやすくなる。この逃げ切れると思ってしまったのが仇となったのか、身体を休めていると突然すぐ近くから馬の蹄の音がする。これから走ってもすぐに追い付かれてしまうと考えた落人達は、目の前にあった炭焼き窯の中に飛び込んだ。
間もなく源氏の追っ手と思しき一団が近づいてきた。そのまま通り過ぎて行くよう祈る落人達。しかし追っ手の一団は炭焼き窯を見つけると立ち止まり、最初から決めていたかのように窯に土を盛り始めた。そしてあっという間に窯の入口は完全に土で蓋をされ、どうやっても出入りが出来ないようになってしまった。それを確かめると、一団は窯を放置してさらに奥へと去って行った……
時が経ち、炭焼き窯があった場所でさまざまな怪異が起こった。村人は供養のための地蔵を建てようと申し合わせ、炭焼き窯の床の上に小堂を建てて地蔵を祀った。そのためこの地蔵は「窯床(かまとこ)地蔵」と呼ばれるようになったとされる。
伝承によると、地蔵が祀られる小堂の隣にはかつて大きな桜の木があった。この炭焼き窯の悲劇の後も、この木の根元で何人もの落人が骸を重ねたと言われる。それを供養するかのように、小堂のそばには「南無阿弥陀仏」と彫られた墓が一基だけ立つ。だがこの墓石に触ってはいけないとされ、触ると祟りがあるという。あるいはこの墓は貧乏神であるとの伝承も残る。
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<用語解説>
◆屋島の戦い
文治元年(1185年)に起こった源平の合戦。平家の拠点であった屋島に源義経が阿波から上陸して奇襲を掛け、平家軍が陸上の拠点を失った。その後平家主力は船団で海上から応戦するが(この時に有名な那須与一“扇の的”の功がある)、間もなく西へ敗走する。
この屋島の戦いで平家軍を離脱し落人となったとする伝承は複数あり、特に四国山間部の点在する落人伝説では多い。中には壇ノ浦で沈んだ安徳天皇は替え玉で、屋島の戦いの折に船から平家一門と共に脱出して四国山中に潜伏したとの伝説も残る。
アクセス:香川県高松市西植田町