山吹地蔵
【やまぶきじぞう】
JR大津駅北口を出たところ、西に数mの敷地内に大きめの祠が建っている。新逢坂山トンネルの開通によって現在の東海道本線が整った大正10年(1921年)に、今の大津駅も完成したが、それまでは秋岸寺という寺がこの場所にあった。この祠は、秋岸寺にあった山吹地蔵と呼ばれる地蔵を祀ったものである。この“山吹”の名は、木曽義仲の愛妾であった山吹御前にちなんだものであり、秋岸寺は山吹御前終焉の地として古くから知られた寺であったという。
木曽義仲の愛妾と言えば巴御前が有名であるが、山吹御前も長く義仲に仕えた“便女(びんじょ)”として名が残る。『平家物語』によると、巴・山吹は木曽義仲の進軍に付き従って京まで上ってきたが、巴が義仲最期の場まで将として離れず戦ったのに対して、山吹は京へ入ってから病を得てその最期には随行出来なかったとされる。また一説では、山吹は巴のような将ではなく、あくまで愛妾という立場であったともされ、その姿はより多くの謎に包まれている。
秋岸寺に残されていた伝承では、京にあった山吹は義仲の死の報を聞くと、何としてでもその最期の場へ行きたいと病を押して逢坂山を越えたが、この秋岸寺で敵の手に掛かって殺されたとされる。結局、義仲終焉の地である粟津へ辿り着くことが叶わなかったのである。そこでその死を憐れんだ者が境内に供養塚と地蔵を建てて祀ったのが、この地蔵とされる。
ちなみに一緒にあった供養塚は、昭和48年(1973年)に大津駅の改修に伴って義仲寺に移転、義仲の墓と同じ境内に安置されている。
<用語解説>
◆山吹御前
生没年不明。出自は巴御前と同じく中原一族と考えられている(中には山吹を姉、巴を妹とする説も)。巴御前が女武者であることが強調されるのに対して、山吹御前は武者よりも愛妾の側面が強く、実際に義仲との間に子を成したとする説も多い。特に埼玉県嵐山町の班渓寺には、義仲の嫡子・義高の実母は山吹御前であり、生き長らえた山吹御前が義高の冥福を祈って建立したのが班渓寺であるとされる(班渓寺には山吹御前の墓と称するものも現存)。
◆木曽義仲
1154-1184。河内源氏の一族。源頼朝とは従兄弟となる。木曽で育ち、反平家として挙兵すると、またたくうちに勝ち上がり京都を占領する。しかし京都での振る舞いが後白河法皇らの不興を買い、同族の源義経らによって追い落とされ、近江国粟津で討死する。
なお義仲の正妻とされるのは、関白・藤原元房の娘とされる藤原伊子(冬姫)。さらに愛妾については巴御前・山吹御前以外に、倶利伽羅峠の戦いで討ち死にした葵御前がある。
◆義仲寺
滋賀県大津市にある、木曽義仲を祀る寺院。その前身となる庵で義仲の菩提を弔っていた“名もなき尼僧”がおり、その正体は巴御前であるとの伝説が残る。境内には木曽義仲の墓碑を始め、上述の山吹御前の供養塚、巴御前の供養塚、さらに義仲寺を愛してやまなかった松尾芭蕉の墓碑が建つ。
アクセス:滋賀県大津市春日町