海徳寺 ホームラン地蔵
【かいとくじ ほーむらんじぞう】
昭和34年(1954年)、東京都世田谷区にある駒沢球場でちょっとしたアクシデントが起こった。読売ジャイアンツのルーキー・王貞治選手の打ったボールが観客の少年に当たり、救急搬送されたのである。試合後に王が病院に駆けつけると、少年は入院するものの大事はないという。一安心していると、そこへ一人の女性が王にサインを求めにやって来た。聞くと、この病院に長らく入院している少年の母という。この野球好きで巨人のファンだという少年のために、王はわざわざ病室に足を運ぶ。それが王と岩崎和夫少年との出会いであった。
西大井に住んでいた和夫は大の野球好きで、小さい頃から毎日野球をして遊ぶ活発な少年であった。ところが10歳の時に突然心臓の難病に罹り、野球をする事も出来なくなり入院を余儀なくされていたのだった。
事情を知った王は少年を励まし、また見舞いに来ると約束した。それから月に1回ほどの割合で王は病院へ通った。新人の強打者として売り出し中であった王だが、まだ主力打者として活躍するには至っていない時期である。和夫の見舞いをする中で、強打者になること、ホームランをたくさん打てる打者になることを誓った。病気の少年を励ますつもりが、闘病に頑張る姿を見ているうちに、健康に野球に専念出来るありがたさ、さらに野球選手として大成したい気持ちを奮い立たせる機会となり、逆に励まされているように感じた。
そのような交流が2年以上続くが、和夫は昭和37年(1962年)1月に遂に13歳で力尽きてしまう。前日に見舞いに来ていた王に「さよなら、さよなら」と帰り際に声を掛けたのが、二人の最後の交流であった。
この年の7月1日。打撃不調だった王は、荒川博コーチの思い付きから一本足打法で臨むよう試合前に言われる。春先のキャンプ練習で数度試しただけの打ち方だったが、結果5打数3安打1ホームランを打ち、チームも勝利した。ここから独特のバッティングスタイルでホームランを打ちまくった王は、この年に初のホームラン王に輝いたのである。
南品川にある海徳寺には、「和夫地蔵」と呼ばれる一体の地蔵が境内にある。錫杖の代わりにバットを、宝珠の代わりにボールを持つこの地蔵は、和夫少年の冥福を祈る両親が建立したものである。ホームラン王となった王が参拝して結果を報告したことがニュースとなると、この地蔵はいつしか「ホームラン地蔵」と呼ばれるようになった。王は、さらにその後も節目となる記録をうち立てると、必ず自ら訪れて手を合わせた。そして昭和52年(1977年)9月3日、王は両親を招くと同時に和夫の母と妹も球場に招待し、その試合で世界記録の通算756号ホームランを打ったのである。
<用語解説>
◆海徳寺
大永2年(1522年)創建の日蓮宗の寺院。開基で自邸内に堂宇を建てた鳥海和泉守の子孫が、この南品川宿の名主を代々襲名した利田家となる。
◆王貞治
1940-。早稲田実業2年生の高校野球選抜大会で、投手として優勝。卒業時に読売ジャイアンツに入団、1年目から打者としてレギュラーとなる。昭和37年(1962年)に初のホームラン王となり、以後13年連続でホームラン王を獲得する。打撃に関する数々の日本記録を持ち、通算868ホームランは世界記録となっている。
◆駒沢球場
かつて、現在の駒沢オリンピック公園内にあった、プロ野球球場。昭和28年(1953年)、当時の東急フライヤーズのフランチャイズ球場として開場。当時東京近辺をフランチャイズとする球団が多い割に球場が少なかったため、フライヤーズ以外の球団も相当数試合をおこなっている(ジャイアンツもそのような事情でおこなわれている)。しかし東京オリンピック施設建設のため、昭和37年(1962年)を最後に閉場する。
アクセス:東京都品川区南品川