こけ地蔵

【こけじぞう】

加古川ウェルネスパークの近く、県道387号線沿いにある。木々の下に立て掛けられるように置かれた地蔵である。高さ140cm、幅110cm、暑さ35cmの長方形の岩に彫られている。岩の形が整っているのは、実はこの近辺にあった古墳などから出土した石棺の蓋を用いているためである。このような“石棺仏”は、この播磨地域では決して珍しいものではない。

この地蔵の最大の特徴は、前傾姿勢で今にも斃れそうな形で置かれていることである。これは何らかのアクシデントのためこのような姿勢になっているのではなく、これで正しく祀られているらしい。実際“こけ地蔵”という名も、過去に頻繁に“こけて”いることから付けられたものである。ただこの地蔵の転倒については、奇怪な伝説が残されている。

この地蔵のある場所から南西へ約3km離れた場所に、正岸寺という寺がある。この寺は、かつて蘆屋道満が生まれ育った屋敷跡に建てられたものであると言われており、ゆかりの井戸跡などが現在でも残されている。安倍晴明の宿敵として多くの文芸に取り上げられる陰陽師である道満はこの加古川の出で、日々陰陽道の術を極める生活をしていたという。その頃道満は屋敷の井戸に式神を囲って使役していたが、夜になるとその式神が井戸を抜け出し、火の玉となって近隣を飛ぶようになった。在所の者はこれを“道満さんの一つ火”と呼んだ。ところがこの“一つ火”は何を思ってか、天下原の地まで飛んでくると、必ずこの石の地蔵に体当たりをする。おかげで地蔵はこけた状態で朝を迎え、村人が毎日元のように立て直したという。これが“こけ地蔵”の名の起こりだとされる。ちなみに道満は、このような術の力を認められて都へ呼ばれ、藤原道長呪殺の命を受けることなったという。

一方同じ蘆屋道満絡みであっても、悲しい色合いを持つ異説も残される。

同じく正岸寺にあった屋敷に住んでいた道満は、都からの密命を受けて道長呪殺のために京へ上ることになった。その際に、井戸にいる式神を連れていかず、そのまま井戸に封印して出掛けてしまった。ところが道満は、安倍晴明によって術を見破られ捕らえられ、同じ播磨の佐用郡へ流罪となってしまった。しかもその地で道満が亡くなってしまい、屋敷は主を失ってしまった。井戸に閉じ込められた式神は主人が戻ってくるのを待っていたが、やがて火の玉となって井戸を抜け出して周辺を彷徨った。そして300年の時が経ち、式神は天下原に置かれた地蔵の存在に気付く。それはかつて道満が修行をしていた古墳にあった石棺の蓋であった。懐かしさのあまり抱き付こうとした式神は、この地蔵を倒してしまう。朝になって村人が立て直すも、式神の火の玉は翌日も地蔵に体当たりして倒す。そしてそれがしばらく続いたという。

その他にも、道長呪殺に失敗した道満が失意の内に亡くなり、その魂魄が再び京へ上ろうとするが、この地蔵が結界となって行く手を阻み、道満の魂魄は何度も地蔵にぶつかるため地蔵がこける……という伝説がある。

<用語解説>
◆蘆屋道満
生没年不明。架空の人物ともされる。播磨国には朝廷に仕える陰陽師とは別系統の術者の集団があったといわれ、その中心的・象徴的存在とされる。また安倍晴明の敵役として文芸作品の中に度々登場する。藤原道長暗殺の話は『古事談』や『宇治拾遺物語』に残されており、そこでは“道摩法師”の名となっている。

◆正岸寺
加古川市西神吉町岸にある寺院。境内に蘆屋道満を祀るお堂があり、中には道満木像と位牌が納められている。

アクセス:兵庫県加古川市東神吉町天下原