根古石(猫石)

【ねこいし】

高山市内屈指の観光スポットに高山陣屋がある。現存する唯一の代官所建造物である。元をただせば、この陣屋は高山藩主金森氏の下屋敷として建築されたものであり、元禄5年(1692年)に6代藩主の金森頼時が出羽に移封されてから明治維新になるまで、幕府の直轄地であった飛騨国の代官・郡代所として使用されていたものである。この陣屋の敷地外、ちょうど陣屋入り口の反対側の塀にへばりつくようにしてあるのが根古石である。

古文書などによると、この根古石のある土地もかつては代官所の敷地内にあたり、近隣から納められた米を置く蔵を守護する稲荷神社が建てられていたという。この神社は祭の際には一般にも開放されていたらしく、初午の時には多くに人で賑わったという記録も残されている。その後、大正3年(1914年)に社殿は全て移転となり、いつしか住宅が建ち並ぶようになっていた。だが、この移転の際に何故か一つだけこの土地に放置されたままとなったのが、この根古石である。かつて、この石に触れると祟りがあるというまことしやかな噂が流れたために放置されたのではないかと推測される。

現在の陣屋の元となった金森家の下屋敷を造ったのは、3代藩主の重頼の頃という。自分の家族を住まわせるために建造したとされる。この金森家の下屋敷であった時代に、根古石の伝説にまつわる事件が起きた。

ある時、藩主の姫が屋敷の庭にいると、飼っていた猫が突然着物の裾を咥えて放そうとしない。難儀していると、そこへちょうど藩主が通りがかった。事情を察すると、畜生のくせに娘に執心するとは許しがたいと、いきなり刀を抜くと猫の首を斬り捨てたのである。そのはずみで猫の首は空高く宙を舞うと、庭の松の木に一直線に飛んでいき、その木の枝にいた大蛇の喉元に咬みついたのである。たまらず大蛇は木から落ち、そしてそのまま動かなくなってしまった。この様子を見て、藩主は、大蛇が姫の命を狙っていたのを猫が気付いて救おうとしたことを悟ったのである。そこで憐れな猫を葬り、その目印としたのが根古石とされる(あるいは猫の死骸がこの石の上に乗ったともいわれる)。

猫の報恩譚としては典型的な話であり、信憑性には欠けるきらいはあるが、今でもなお根古石は近隣の人々から大切に扱われている。

<用語解説>
◆金森重頼
1596-1650。高山藩3代藩主。大坂夏の陣直後に家督を継ぐ。藩政に心血を注ぎ、名君と呼ばれる。根古石の伝説は、この重頼の代に起こった出来事であるという説が有力である(公式の案内板では代官所時代とされているが、設置状況から稲荷社建立と時代的にあまり離れていない時期と推測した方が妥当であると考える)。

アクセス:岐阜県高山市八軒町