渡辺綱の燈籠
【わたなべつなのとうろう】
北野天満宮の三光門の内部、回廊に囲まれた場所の一角に、立て札が立ち垣に囲まれた古い燈籠がある。これが重要美術品に指定された、渡辺綱の燈籠と呼ばれるものである。
『平家物語』剣巻には、この燈籠の由来にまつわる話が書かれている。ある夜半、源頼光の使者として一条大宮に赴いた渡辺綱は、帰り道に一条戻橋に差し掛かった。すると端の東詰に女が立っている。女は「五条まで行きたいが心細いので、一緒について来て貰えるか」と尋ねてきた。綱は快く応じて馬に乗せてやる。しばらくすると女は「実は住まいは都の外になる」と言いだした。それでも送ってやろうと綱が答えると、女はたちまち鬼の姿に変じ「ならば愛宕山に連れて行こう」と、後ろから綱の髻を掴むと、そのまま宙高く飛んでいった。しかし綱は慌て騒がず、頼光から預かっていた名刀・髭切を抜き放つと、一瞬で鬼の腕に斬りつけて切り落としてしまったのである。何とか地面に降りた綱が辺りを見回すと、そこは一条戻橋から愛宕山の方向へ行った先にある、北野天満宮の境内であった。綱は鬼から逃れることが出来たのも北野天満宮の加護と思い、後日、鬼の手が落ちていた(あるいは綱自身が降り立った)場所に一基の燈籠を寄進した。それが現在に残る燈籠であるとされる。
しかしながら、この燈籠はその形式の特徴から鎌倉時代の作であると認定されており、実際に渡辺綱が寄進した者ではないとの結論付けられている。
<用語解説>
◆渡辺綱
953-1025。嵯峨源氏渡辺党(渡辺氏)の祖。源頼光四天王の一人で、数々の伝説に登場する。
◆一条戻橋の鬼女
切り落とされた腕は綱が屋敷で保管、同時に7日間の物忌みをしていた。最終日に綱の養母が訪ねてきて無理に室内に入ると、鬼の腕を見せて欲しいと頼む。断り切れない綱が見せると、養母はそれを手に取ってしげしげと見るとたちまち件の鬼の姿に変じ、腕を小脇に抱え逃げ去ってしまう。
『平家物語』ではこの逸話の直前に“宇治の橋姫”の逸話を展開しており、一条戻橋の鬼女の正体が宇治の橋姫であると示唆している。
◆渡辺綱と羅城門の鬼
渡辺綱が鬼の腕を斬った逸話として、羅城門(羅生門)での戦いがある。しかしこの話は『平家物語』の話をそのまま羅城門を舞台に移し替えた、後世の創作である。おそらく羅城門に棲み着いた鬼の言い伝えと渡辺綱の活躍を融合させたものと推測される。
◆渡辺綱と茨木童子
渡辺綱と一条戻橋(あるいは羅城門)で戦った鬼の正体が茨木童子であるとの説もある。茨木童子は酒呑童子の配下で、源頼光と四天王が大江山で鬼退治した時、渡辺綱は副将格の茨木童子と一騎打ちをしており、酒呑童子の死を知った茨木童子が戦いの途中で逃げ出したされる(茨木童子は酒呑童子一味の唯一の生き残りとされる)。綱が鬼女と遭遇するのはこの鬼退治の後で、茨木童子の報復であるとする。また茨木童子は酒呑童子の妻の鬼女であるとの説もあり、この鬼女の伝説と結びついたとも言われる。
◆髭切
源家重代の名刀の一つ。渡辺綱が鬼の腕を切り落としたことから“鬼切丸”の名が付けられる。その後源義家ら源氏の当主が持つが、南北朝時代には新田義貞の手に渡り、越前での戦死後に越前守護の斯波氏が所有する。後には斯波氏傍流の最上氏が山形に赴く際に所有。そして明治時代になって所縁のある北野天満宮に奉納され、現在に至る。
アクセス:京都市上京区馬喰町 北野天満宮境内