はだか武兵の祠
【はだかぶひょうのほこら】
昔、中津川の宿に武兵という男が住んでいた。鵜沼宿の出であったが、いつの間にか茶屋坂という場所に居着いて雲助を生業としていたが、大力の大酒飲みで、真冬の時ですら褌一丁のままで暮らしていた。そのため仲間内では“はだか武兵”と呼ばれていた。
ある時、武兵は仕事で木曽の須原宿まで客を送ったが、日も暮れてしまったので、宿場にある神社で一晩明かすことにした。拝殿に入ると既に一人の老人がいたが、二人はすぐに意気投合。やがて老人は、自分が疫病神であることを明かした上で、兄弟分になろうと提案した。疫病神が取り憑いている所に武兵が来たら退散する、という約束である。面白がった武兵はすぐに兄弟分となる約束をしたのであった。
しばらくして仲間の雲助が熱病にかかった。武兵が見舞いに行くと、たちどころに治った。そんなことが数回繰り返されるようになって、町では「はだか武兵は熱病を治す」という評判が立つようになったのである。
数年後のある冬のこと。中山道の大湫(大久手)宿から大層な使いの者が、武兵を訪ねてきた。参勤交代で本陣に泊まった長州の殿様の姫が熱病にかかって、もはや医者も匙を投げてしまっている。かくなる上はということで、街道筋でも噂の高い武兵に来てもらおうとなったのである。
本陣に現れた武兵の姿を見て、家老はたまげてしまった。雲助と聞いて多少は覚悟はしていたが、目の前に現れたのが褌一丁の大男。床に伏せっている姫君一人の部屋に入らせて良いものか、家老は逡巡せざるを得なかった。しかし武兵はお構いなしに、そのままの格好でずかずかと部屋に入り込む。するとたちまち姫は意識を取り戻して、熱病は嘘のように治ってしまったのである。そして驚喜する家老を尻目に、武兵は褒美も受け取らずに帰って行ったのである。
この痛快な“はだか武兵”を祀った祠が、旭が丘公園の中にある。その祠の前にある舟形の石を年の数だけ叩いて祈ると病気にかからないとされ、この石は叩くと高い音を出すので“ちんちん石”と呼ばれている。今でも病気平癒のご利益に預かろうと参拝する人がいるという。
<用語解説>
◆長州の殿様
この話は時代不詳とされているが、実際には天保の初め頃(1830年代前半)にあった出来事とも言われている。その頃の長州藩の藩主は11代斉元であり、3人の娘がいる。
アクセス:岐阜県中津川市東町 旭が丘公園内