大直禰子神社
【おおただねこじんじゃ】
名古屋の中心街の一角にあるこの神社は、大和一之宮・大神神社の初代神主である大直禰子(大田田根子:おおたたねこ)を祭神とし、家内安全・無病息災に霊験あらたかとする。しかし、この神社は「おからねこ」としての方が名が通っている。
「おからねこ」の由来については『尾張名陽図会』によると、昔、鏡の御堂と呼ばれるお堂があって、そこには本尊がなく、三方の上に狛犬(お唐犬)の頭が一つ置かれていた。それを「おからねこ」と呼んでいたという。またその後、お堂もなくなりこの狛犬の頭も行方知れずとなったが、お堂のそばにあった大榎が残り、その大榎も枯れて根だけが残ったのを「お空根子」と呼んだともいう。
さらに『作物志』によると、上のような奇談めいた話ではなく、まさに妖怪変化として「おからねこ」が存在したとされる。その姿は、牛や馬を束ねたほどの大きさ、背中に数株の草木が生えており、いずれの時からか、この場所から動くことなく居続け、一声も吠えず、風雨も避けず、寒暖も恐れないとされている。人々の願いを叶えてくれることは著しいが、その名前を知っている者はなく、その姿が猫に似ているので「御空猫」と呼び習わしているとしている。
この伝承が広く言い伝えられているせいか、本来は全く関係のない猫を祀る神社であると誤解されているところがあり、駒札にも猫とは無縁である旨の断り書きがある。(と言いつつ、写真にあるように、1匹の猫が出迎えてくれたわけだが)
<用語解説>
◆大直禰子(大田田根子)
10代崇神天皇の御代に疫病が大流行した時、天皇の夢枕に大神神社の祭神である大物主神が現れ、自分の子孫である大直禰子に祀らせよと伝えた。そこで天皇は大直禰子を探し出して大神神社の神主としたところ、疫病は収まったと言われる。その後、大直禰子も三輪氏の祖として祀られ、大神神社の摂社・大直禰子神社(若宮社)の祭神となっている。無病息災に霊験あらたかとされるのは、この出自によるものであると考えられる。
◆『尾張名陽図会』
尾張藩士であった高力猿猴庵(1756-1832)作。名古屋近辺の名所図会。奥付はないが、文政年間(1818-1832)に著述されたものであると推測される。
◆『作物志』
尾張の読本作家であった石橋庵真酔(1774-1847)の作品。序文に文化4年(1807年)の冬とある。
アクセス:愛知県名古屋市中区大須