十和田神社

【とわだじんじゃ】

十和田湖畔に建つ古社である。社伝によると創建は大同2年(807年)、坂上田村麻呂によるものとされる。祭神は日本武尊であるが、かつては熊野権現・青龍権現と呼ばれていたという。

しかしこの神社創建にまつわる伝説にはもう1つあって、そちらは北東北一帯に広がる、三湖伝説と呼ばれる壮大な話となる。

十和田神社を創建したのは、南祖坊という修験僧であったという。父親は藤原是真、熊野権現に祈念して生まれた子とされる。南祖坊は熊野権現で修行した折、神より鉄の草鞋と錫杖を授かり「百足の草鞋が破れたところに住むべし」とのお告げを聞く。そして百足の草鞋が破れた地がこの湖のほとりであった。

しかしこの湖には、八頭の大蛇である八郎太郎が既に住み着いていた。そこで南祖坊は法華経の霊験によって自らを九頭竜に変化させて八郎太郎と戦い、そして勝利の末にこの湖に住み着き、青龍権現として崇められるようになったのである。

境内の奥へと入り、絶壁を下りると湖面に辿り着く。ここが占場と呼ばれる場所であり、南祖坊が入水した場所であるとされる。社務所でわけていただける「おより紙」を湖面に浮かべて吉凶を占うことができる。

<用語解説>
◆坂上田村麻呂
758-811。征夷大将軍として蝦夷を討つために東北へ遠征しているが、延暦23年(804年)以降は赴いていない。東北各県には田村麻呂創建の寺社が多くあるが、ほとんどは後年の付会であるとされる。また大同2年(807年)は坂上田村麻呂と空海が創建した寺社によく見られる創建年号である。

◆三湖伝説
十和田湖・八郎潟・田沢湖にまつわる伝説。
マタギをしていた八郎太郎は、ある時掟を破って仲間の岩魚まで食べてしまったために大蛇となってしまい、十和田湖を造って住み着いた。その後十和田湖に来た南祖坊が八郎太郎を追い出し、八郎太郎は今度は八郎潟を造り出して住み着いた。
一方、辰子という娘は、年老いて容色が醜くなることを恐れ、観音菩薩に祈念してその結果、竜となって田沢湖に住み着いた。
その後、八郎太郎は辰子を見そめて、毎冬田沢湖へ通うようになったが、また南祖坊が邪魔に入った。しかし今度は八郎太郎が勝利した。

アクセス:青森県十和田市奥瀬字十和田