西福寺

【さいふくじ】

鴨川沿いから松原通(昔の五条通)を東へ進んでいくと、そこは現世と冥界との境界である“六原”にたどり着く。かつては“六波羅”と書かれ、その名の由来は“髑髏原(どくろはら)”であると言われている。さらにこの近辺の町名は轆轤(ろくろ)町、髑髏の転訛であることは疑う余地もない。かつてこの地は京都の東の葬送地である鳥辺山に通じる入り口であり、【六道の辻】と呼ばれていた場所である。現在では石碑が建てられており、そのそばに建つのが西福寺である。

西福寺は弘法大師がこの地に地蔵堂を建て、自作の地蔵を安置したところから始まる。弘法大師に深く帰依していた壇林皇后(嵯峨天皇皇后)はたびたびこの地を参詣していた。そして皇子(後の仁明天皇)の病気平癒を地蔵に祈願したところ回復したため、この地蔵は“子育て地蔵”と呼ばれるようになったという。

この寺で最も有名なものは寺宝である【壇林皇后九想図】である。壇林皇后は非常に心清らかで、また美貌の持ち主であった。だが、その死にあたって「風葬となし、その骸の変相を絵にせよ」という遺言を残した。そして完成したのがこの【九想図】である。つまりこれは人が死に、死骸が朽ち果て、やがて土に還る までを表した、凄まじい絵なのである。この絵は六道参りの時期(8月上旬)の3日間だけ公開される。そのむごたらしさは言うまでもないが、眺めているうち に“人の世の空しさ”が胸に迫ってくる。実際、この絵は“無常”を絵解きしたものであり、ここまでストレートにやられると、もはや言うべき言葉を見つけることもできない。

<用語解説>
◆六道
仏教用語で天道・人道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道の輪廻を指し、現世と冥界の行き来を示すものである。「六道の辻」とは、現世における冥界への入り口、即ち、野辺送りの出発地点と言うべき場所である。

◆檀林皇后
786-850。嵯峨天皇皇后。檀林皇后の遺体が晒された地は「帷子ノ辻」と呼ばれている。

◆九想図(九相図)
うち捨てられた遺体が変化していく様子を9つの段階に分けて描いた絵。西福寺の場合【死去→死体膨脹→腐乱→蛆が湧く→鳥獣が食らう→一部白骨化→白骨化→骨が散乱→塚が建つ】という変化となる。絵のモデルとなるのは、檀林皇后や小野小町といった、美人の誉れの高い女性とほぼ決まっている。

アクセス:京都市東山区松原通大和大路東入ル轆轤町