血の池

【ちのいけ】

四国八十八箇所霊場の84番札所、屋島寺のそばにある池。屋島寺創建の際、弘法大師がこの地に経文と宝珠を収め、その周囲に池を掘ったのが始まりであるという。そのため、この池は出来た当初は「瑠璃宝の池」と呼ばれていた。現在でも池の中央部には小島があり、そこが経文と宝珠が収められた場所であるとされる。

何故このような清浄な池が「血の池」と呼ばれるか。それは寿永4年(1185年)にこの地においておこなわれた源平の屋島の合戦に由来する。屋島の檀ノ浦で平家を打ち負かした源義経らの源氏方は屋島に登り、この池で血のついた刀を洗ったという。それ以来、この池は「血の池」という通り名で呼ばれるようになったとのこと。

<用語解説>
◆屋島寺
鑑真が創建し、空海(弘法大師)が現在地に伽藍を造営したとされる。屋島の合戦に由来する宝物も多く、那須与一の子孫が寄進した源氏の白旗などが収められている。

◆屋島の合戦
一ノ谷の戦いで敗れた平家が四国の屋島に拠点を置いて反撃の準備をしていた。それに対して源義経は、少人数で阿波に上陸、背後から屋島を襲撃して陥落させた。那須与一が船上の扇の的を射抜いた逸話で有名な戦いである。
ちなみに屋島にも「檀ノ浦」と呼ばれる土地があり、ここが屋島での源平の主戦場となっている。ただし下関にあるのが【壇】に対して【檀】の字を用いる。

アクセス:香川県高松市屋島東町