鯖大師本坊
【さばだいしほんぼう】
全国至る所で言い伝えられている“弘法伝説”の一つに「鯖大師」と呼ばれる霊験譚がある。湧水や食べ物にまつわる伝説と比べると数は少ないが、似た話は各地に残されている。この伝説の由来となった地に建つ寺院が、四国別格霊場第4番札所の八坂寺、通称「鯖大師本坊」である。
四国八十八ヶ所霊場第23番札所薬王寺から第24番札所最御崎寺までは約80kmもの距離があり、しかも途中には八坂八浜と呼ばれる難所があった。巡錫中の空海がこの八坂の峠で休息していると、そこへ荷を背負った馬と共に峠を上ってくる馬子がやって来た。馬が苦しそうであるのを見た空海は、峠で一息つくように馬子に声を掛けたが、それを気に食わない馬子は無視して通り過ぎようとした。そこで空海は「その荷にある物を一つ施して欲しい」と頼んだ。それに対して馬子は「荷は塩鯖だから、坊さんには施せない」とにべもなく答えて通り過ぎて行った。
そこで空海は
「大さかや 八坂さか中 塩鯖を 大師にくれで 馬の腹やむ(病む)」と歌を詠んだ。
その声は馬子にも聞こえたが、歌が終わるや否や、荷を背負っていた馬が急に倒れてしまった。見ると、腹が異様なまでに膨らみ、今にも死にそうな様子である。さすがの馬子も荷どころか大事な商売道具の馬まで死なれてしまってはどうしようもない。慌てて荷の中の一番小さい塩鯖を手にすると、空海の許へ行って謝罪した。空海はならばと持っていた水を加持して馬に飲ませるよう言うと、
「大さかや 八坂さか中 塩鯖を 大師にくれて 馬の腹やむ(止む)」と歌を詠んだ。
そして馬子が水を飲ませると、馬は何事もなかったかのように立ち上がった。この不思議を目の当たりにした馬子が心から非礼を詫びると、空海はさらに馬子を伴って近くの浜に下りると、手にした塩鯖を海の中で泳がせた。すると既に死んでいるはずの鯖が、ひれを動かし始めると、そのまま沖へと泳いで行ってしまった。続けざまに奇跡を見た馬子はその場で空海に弟子にして欲しいと願い出ると、馬と共に空海の巡錫に随行するようになった。
修行を積んだ馬子は、ある時「出会ったあの坂へ戻るがよい」と空海から言いつけられた。その意味を悟った馬子は一体の仏像を請うと、馬の背にそれを載せて八坂の峠に赴くと、そこに一寺を建立して仏像を祀った。遍路道の難所の途中に立ち寄れる寺を設けることによって、多くの巡礼の便宜を図ることを余生の務めとしたのである。それが八坂寺・鯖大師本坊の始まりとされる。
<用語解説>
◆「鯖大師」の伝承
この伝承の発祥の地は八坂寺一帯であるが、最初は空海ではなく行基の起こした奇跡として語り継がれていたとされる。それが空海の事績に変わっていったのは、明治時代に入ってから。廃仏毀釈の影響で修験道が禁じられて衰退したことで、四国八十八ヶ所霊場を開いた空海の伝承となったらしい。八坂寺の縁起では、八坂の峠で休息中に空海の許に行基菩薩が現れてこの土地が聖地であることを告げており、行基所縁の地でもあることを示している。
アクセス:徳島県海部郡海陽町浅川中相