吾妻神社

【あづまじんじゃ】

祭神は弟橘姫命。地元では「吾妻様」の名前で通るという。

日本武尊の東征軍が相模から房総半島へ船で渡ろうとした際、途中で暴風雨に巻き込まれた。このままでは船が難破して、一行が海に沈んでしまう。その時に嵐を鎮めるために身を捧げたのが日本武尊の寵姫であった弟橘姫である。姫は別れを告げると、海に身を躍らせた。すると間もなく嵐は収まり、日本武尊一行は何とか対岸の上総の地にたどり着いたのである。

漂着して数日後、浜辺に打ち上げられたのは一枚の布。それは弟橘姫の着物の袖であった。日本武尊はそれを大切に納めて祠を建てた。それがこの神社の創建とされる。(『古事記』では、浜辺に打ち上げられたのは姫の櫛であったとされるため、一部では「櫛が納められた」とされている。神社の公式の由来では、袖となっている)

境内には、池を模したちょっとした公園のような場所がある。かつてこのあたりは“吾妻の森”と呼ばれ、そこに“鏡ヶ池”という池があった。その名の由来は、漂着した日本武尊一行がこの池に姿を映して身支度をしたためとも、弟橘姫が愛用していた鏡を底に沈めたためとも伝えられている。現在の池は、それを復元したものであるという。

この木更津の地は、日本武尊が詠じたとされる
「君去らず 袖しが浦に立つ波の その面影を 見るぞ悲しき」
の“君去らず”の部分からその名が採られたとされる。また隣にある袖ケ浦や君津の地名もこの歌を由来としていると言われる。その意味でも、この神社(“吾妻”という社名も、日本武尊にとっての妻である弟橘姫を指している)は、この地域にとって由緒ある場所なのである。

アクセス:千葉県木更津市吾妻