お中地蔵

【おなかじぞう】

現在国道373号線と鳥取自動車道が並走する道は、かつて智頭街道と呼ばれ、鳥取藩の参勤交代に利用された脇街道である。この街道の因幡と美作との国境が志戸坂峠であり、現在は昭和56年(1981年)に完成した志戸坂トンネルが国道と自動車道が併用する形で通されている。それ以前に使用されていた旧志戸坂トンネルは現在封鎖されており、中で自治体による椎茸の菌床栽培実験がおこなわれているらしい。また西粟倉村側のトンネル手前には「歴史の道百選」に選ばれたことを示す碑や簡便な公園が設けられており、多少荒れてはいるものの車で峠までは支障なく通行出来る。

この旧道をトンネルまで向かう途中、古びたお堂があり、中に4体の地蔵が祀られている。この地蔵が“お中地蔵”である。この地蔵が祀られているのには、次のような悲話があったと伝えられる。

鳥取藩家老の家臣に若桜又治郎という者がいた。陪臣という身分ながら文武に秀でた人物で人望もある者として知られていた。ところがそれを妬んだ同輩達が奸計を謀り、又治郎は最終的に閉門の処分を受けてしまった。遺恨を晴らすべしと憤る又治郎に対して、妻のお中は短慮せぬようにと懸命に諫めた。そして鳥取での生活を捨てて他国で生活することを選んだ二人は、智頭街道を南へと旅立ったのである。

ところが国境の志戸坂峠まで来た時に偶然行き会ってしまったのが、又治郎を陥れた同輩達の一行であった。その姿を認めた又治郎は一旦はやり過ごそうとしたが、同輩達のさらなる挑発に抑えていた怒りを堪えきれなくなり、止めるお中を振り切って同輩達に斬り掛かっていった。しかし多勢に無勢、又治郎は結局返り討ちに遭ってその場で斬られたのであった。そして妻のお中も夫を止めようとして乱闘に巻き込まれたのであろう、騒ぎが終わる頃には誰かに斬られ事切れていたのである。その後村人によって建てられた地蔵は、夫と共に斬殺されたお中の名を採って呼ばれるようになったという。

アクセス:岡山県英田郡西粟倉村坂根