よきとぎ地蔵

【よきとぎじぞう】

平成の大合併で現在は伊賀市となっているが、かつて阿山町という町があった。鉄道は通過しているものの町内に駅がない、非常にアクセスしづらい土地であるが、かつては伊賀上野から桜峠を経由して(現在国道422号が通る)信楽へ至る街道が通っていた。この旧街道沿いに残されているのが“よきとぎ地蔵”である。

小堂の中に安置されている、大きな石に彫られた地蔵菩薩と阿弥陀如来の2体の像が“よきとぎ地蔵”と呼ばれている。この2体の像は実は室町時代後期に造られた磨崖仏であり、彫られた岩壁がはめ込まれるようにして小堂が建てられている。ここまでして大切に守られている像だが、“よきどぎ”の名で呼ばれる由来となる伝説が2つ残されている。共に広く流布した伝説であり、案内板にも両伝説が併記されている。

ある時、信楽へ通じるこの街道伝いに、一人の僧が千貝の地を訪れた。この集落から西へ桜峠を越えて信楽へ到着する道のりにはまとまった集落がないことを聞くと、僧は千貝で宿を求めた。そして翌日、村人に「ここから西への道中の安全祈願のために、地蔵を造ろうと思う」と告げると、自分の持ち物の手斧(よき)を研ぎ、街道沿いにあった大石に地蔵を彫りだした。しばらくすると見事な像が出来上がったが、その僧は千貝の地を離れず、亡くなるまで滞在し続けた。僧が亡くなった後、村人は僧を葬り、以後この地蔵を大切に祀った。そして僧が手斧を使って彫った地蔵ということで、“よきとぎ(斧研ぎ)地蔵”と呼ぶようになったという。

もう一つの伝説も、同じく名もなき旅の僧が主人公となる。

ある旅の僧が、千貝にある一軒の家を訪ね「衣が破れたので、針と糸を貸して欲しい」と頼んだ。すると虫の居所が悪かったのか、家の主人は「針がないので、裏山に打ち棄ててある手斧を研いで針にしてくれ」と言い放った。すると僧は礼を述べ、裏山へと向かった。断りのつもりで言ったのを真に受けたのかと驚いた主人は、後を追っていくと、僧が錆びた手斧を見つけて近くの洞穴に入るのを見た。翌日も見に行くと、洞穴の中で僧は真剣に手斧を研いでいる。さすがに怖くなった主人は、もう見に行くまいと心に誓ったのである。

しばらく時を置いて、さすがに諦めて退散しただろうと思いつつ、主人は恐る恐る洞穴を訪ねてみた。覗き込むと、誰もいない。やれやれと思ってホッとした主人は、そこである物を見つけてぎくりとした。旅の僧が着ていた袈裟が丁寧に置かれていたのである。近寄ってそれを手にした主人は、さらに驚くべき物に気が付いた。袈裟に刺さった、細く光る物。それは一本の針であった。主人はこの袈裟と針を家に持ち帰ると、丁重に祀った。さらに僧の遺徳を偲ぶために地蔵を彫った、これが後に“よきとぎ地蔵”と呼ばれるようになったとされる。

アクセス:三重県伊賀市千貝