お菊塚

【おきくづか】

平塚駅の近く、紅谷公園の一角に「お菊塚」がある。この塚の主は『番町皿屋敷』の主人公であるお菊と伝えられている。

この塚の由来によると、お菊は平塚宿の宿役人であった真壁源右衛門の娘とされる。番町に住む旗本・青山主膳の屋敷に行儀見習いに奉公に出ていたところ、誤って家宝の南京絵皿十枚の内の一枚を割ってしまい、主膳が斬り捨てて井戸に投げ込んでしまったという。(一説では、お菊に懸想して振られた主膳の家来が罪をなすりつけとも言われる。いずれにせよ「番町皿屋敷」伝承の域を超えない展開である)

お菊の遺体は、罪人と同じ扱いで長持に入れられて、平塚宿に戻された。馬入川の渡しで遺体を迎えた父親の源右衛門は、「あるほどの 花投げ入れよ すみれ草」と詠み絶句したという。そして罪人扱いとして墓を作らず、センダンの木を墓代わりに植えたとされる。その後、青山主膳の屋敷では、井戸からお菊の幽霊が現れてさまざまな障りが起こったと伝えられている。

この事件は元文5年(1740年)の出来事であるとされ、全国各地にある「皿屋敷」伝説の中でも比較的新しいものである。おそらく、実際に“お菊”という名の女性が江戸の旗本屋敷に奉公に出て、そこで何らかの粗相をして手討ちにあったのであろう。ただ名前が“お菊”という関連から、いつしか「皿屋敷」の伝説と絡まって新しい伝説として伝えられるようになったと推測される。

しかし、公園の一角に塚があるのにはかなり不思議な謂われが残っている。昭和27年(1952年)に戦後復興のための区画整理がおこなわれ、この地に元からあった青雲寺は移転。そこにあった墓と共にお菊の墓も移動させようとしたが、工事に支障が出ることがたびたびあったので、結局、塚を築いて残したのである。

アクセス:神奈川県平塚市紅谷町