蓮法寺 浦島太郎供養塔

【れんほうじ うらしまたろうくようとう】

神奈川区には浦島太郎に関する伝承地が数多く残されている。その来歴は古く、江戸時代に書かれた『江戸名所図会』にも既に浦島太郎ゆかりの寺院として“帰国山浦島院観福寿寺”という名が挙げられており、かなり有名な観光名所であったと推測される。

観福寿寺の山号からわかるように、神奈川の浦島伝説は、竜宮城から帰ってきてから後の話となっている。竜宮城から戻ってみて誰一人身寄りもなくなった浦島は、丹後から両親の故郷である白幡の峯へ赴き、そこで父母の供養塔を建てたという。つまりこの相模国が父の故郷であり、浦島太郎の生国でもあるというのである。

江戸期には、観福寿寺に浦島太郎にまつわる寺宝が納められていたのであるが、明治元年(1868年)の大火によって寺院は焼失、その後の廃仏毀釈などで結局廃寺となってしまった。寺宝の一部は慶運寺(神奈川区)に移されたのであるが、大正時代になって、観福寿寺があった場所に蓮法寺という日蓮宗の寺院が移転してきて現在に至っている。そして蓮法寺には浦島太郎父子の供養塔が残されており、さらに乙姫の供養塔とされるものも一緒に置かれている。

なお、この付近には“浦島”や“白幡”という地名が今なお残されている。

<用語解説>
◆『江戸名所図会』
全7巻20冊。天保5年(1834年)に前半、同7年(1836年)に後半が刊行される。江戸とその周辺の名所や旧跡を図入りで紹介した、いわばガイドブックのはしりと言える本である。

アクセス:神奈川県横浜市神奈川区七島町