お春地蔵

【おはるじぞう】

福島市の東部、山口地区の常円寺の飛び地境内にあるのがお春地蔵である。最寄りのバス停の名にもなっている地蔵であるが、かつては縁日に数万の人出があったとの記録が残るほど、近隣にも名が知れた存在であった。野外にあるにも拘わらず美しい着物をまとった、気品溢れる顔立ちの姿は、今なお連綿と篤い信仰に支えられていることを感じさせる。しかしこの地蔵の縁起を紐解くと、そこには陰惨な事件が浮かび上がってくる。

宝暦年間(1751~1764年)の頃、この山口の平内屋敷にお春という娘があった。お春は気立ての優しい美しい娘であったが身体が弱く、山一つ越えた長者の家に嫁に行ってから、仕事が出来ない嫁と姑からいつも辛く当たられていた。

そしてある日、お春が麦を臼でつく作業を休み休みしているのを見た姑は、怒りに任せて杵を奪い取るとお春の頭を殴りつけた。その場で倒れ込んだお春は、そのまま息絶えてしまう。さすがにこれはいけないと思った姑は、ちょうど家に二人だけだったことをこれ幸いにと、お春の遺体を担いで外に出ると、近くの沼に遺体と凶器の杵を投げ込んで知らぬふりを決め込んだ。日が暮れてお春の姿が見えないと騒ぎになると、姑は「家の仕事がままならぬので、きっと実家へ逃げ帰ったのだろう」と冷淡に言い放ち、さらに厄介払いできたと内心ほくそ笑んでいた。

お春が行方不明になってから数日後、姑はどこからか物音がするのに気付いた。それは幽かではあるが、まさしく杵で臼をつく音。姑はまさかと思いそっと沼へ行くと、やはり音はその沼から聞こえていた。死んだお春の無念が音を立てていると悟った姑は恐怖に駆られ、とうとう耐えられず菩提寺の常円寺の住職であった月泉禅師に全てを告白し懺悔した。

禅師は自ら罪を認めた姑を赦し、供養のためお春の姿を模した地蔵建立を命じた。そして地蔵が運ばれる当日、道に新しい菰が敷かれ、近在の者数千人が到着を出迎えた。先頭に地蔵が担がれて進み、その後ろを白衣を着た姑が清めの水を捧げて付き従った。その後も姑はこの地に留まり、近在の者に尽くして生涯を終えたという。

<用語解説>
◆常円寺
天正15年(1587年)開山の曹洞宗の寺院。南北朝時代に南朝に与し、その後この地域を治めた大波氏が開基した。6世住職の月泉禅師は高僧として名高かった。

◆怪異の沼
お春の婚家は常円寺から約2km程離れた山口字宮脇にあったとされる。現在このあたりは「小鳥の森」という里山自然公園となっている。そしてお春の遺体を投げ込んだとされる沼は現存しており、小鳥の森ネイチャーセンターそばにある小沼が“お春沼”と呼ばれ、伝承が書かれた案内板が立てられているとのこと。

アクセス:福島県福島市山口