天女の衣掛柳

【てんにょのころもかけやなぎ】

余呉湖の北岸に沿うようにある県道33号線の脇にある巨木である。マルバヤナギという種類のもので、一般的なイメージの柳とは随分違う印象を受ける。高さは11m、幹周りは約4mである。この木が余呉に残る羽衣伝説の舞台となる。

日本各地に天女の羽衣伝説が残されているが、この余呉湖に伝説は最も古いものであるとされている。『帝王編年記』養老7年(723年)条の記載によると、この余呉の湖に白鳥の姿で舞い降りた八人の天女が水浴びをしていたところ、この土地に住む伊香刀美(いかとみ)という男が天女に恋を抱き、柳の木に掛けてあった羽衣を一枚だけ白犬に盗み取らせた。異変に気付いた天女は羽衣をまとって空へ逃げたが、一人だけ羽衣を盗まれた天女だけは逃げることが出来ず、泣く泣く伊香刀美の妻となったのである。やがて二人の間には二男二女が誕生したが、天女はついに羽衣が隠されている場所を探し当てると、身にまとってそのまま天に昇っていったである。それを知った伊香刀美はただ天を見上げて溜息をつくばかりであったという。そしてこの残された子供達が、この地を支配した伊香氏の祖となったとされる。

さらに余呉湖には、もう一つの羽衣伝説がある。

川並の漁師である桐畑太夫は、ある時芳しい匂いに惹かれて柳の木のところへ来てみると、珍しい薄物が掛かっていた。それを手に取ったところで、美しい天女が現れ羽衣を返してほしいと請われた。しかし太夫はそれを返さず、とうとう天女は彼の妻となることになった。そして夫婦の間には一人の男子が生まれ、陰陽丸と名付けられる。月日が経ったある時、子守の歌を聞いて、天女は羽衣が裏庭の藁の下に隠されていることに気付いた。羽衣を身にまとうと、天女は天へ昇っていったのである。

妻がいなくなって嘆く桐畑太夫は、しばらくして夢を見た。そして夢の中で天女が指図したとおりにすると、太夫も昇天してしまうのである。一人取り残された3歳の陰陽丸は石の上で泣き続けた。そこに通りがかった菅山寺の尊元阿闍梨は子供の泣き声が法華経のように聞こえたので、不思議に思って寺に連れて帰り養育したのである。やがて利発な子供に成長した陰陽丸は、菅山寺を参詣した菅原是善の目にとまり、養子となって京へ上ったのである。

『大日本地誌大系』に記載されている伝承では、この陰陽丸こそが、後の菅原道真になったのだとしている。

<用語解説>
◆『帝王編年記』
鎌倉末期に編纂された史書。ここに記された羽衣伝説の記述については、和銅6年(713年)に編纂がおこなわれた『近江国風土記』の本文をそのまま掲載したとされている。

◆『大日本地誌大系』
江戸幕府が編纂した、日本全国の地誌の集成。近江国については『近江輿地志略』の名で膳所藩士の寒川辰清が享保19年(1733年)に完成させている。

アクセス:滋賀県長浜市余呉町川並