須々幾神社

【すすきじんじゃ】

河北潟にほど近い住宅街の中にあるのが須々幾神社である。特に特徴のある神社ではないが、創建は養老2年(718年)という古社であり、さらに『三州奇談』巻之四にはこの神社にまつわる怪異譚が記されている。

建久年間(1190~1199年)、加賀国井上荘の地頭となっていたのは鈴木三郎重家で、荒廃していたこの神社を造営し直し、その死後に塚が造られたという。そしてその5代末の新九郎という者がこの地に定住して農事に携わっていた。

ある時、新九郎は河北潟へ釣りに出かけ大きな鱸(スズキ)を釣り上げたが、それはたちまち美女に化身し、新九郎はそれを妻とした。長らく睦まじく暮らしていたが、ある日突然新九郎宅に龍宮の使いがやって来ると、妻は忽然と消え失せてしまい、あとには1匹の大きな鱸の死骸が落ちていた。新九郎はそれを重家の塚に埋めて供養した。

その後新九郎も死ぬと同じく重家の塚に葬られたが、それ以降村人はその塚を指して“三すすき”と呼ぶようになり、さらに塚周辺に薄(ススキ)が生えるようになると社を建てて“三薄の宮”と称した。そして新九郎が亡くなった8月16日を祭礼の日として、宮に餅や酒を供えた。

ところがある年、祭礼を怠ったところ、たちどころに村に疫病が流行りだし、村人は慌てて詫びの祭礼を11月16日に執りおこなうと、すぐに疫病は鎮まったという。それ以降周辺の薄は大いに生えたが、それを刈ると血が流れ出すため、村人は怖れて祭礼を欠かすことはしなかったという。

<用語解説>
◆『三州奇談』
金沢出身の俳人・堀麦水(1718-1783)の編による。成立は宝暦年間(1751-1764)から安永年間(1771-1781)の期間であるとされる。正編99話、続編50話の奇談が収められている。

◆鈴木三郎重家
1156-1189。紀州藤代鈴木家の当主であり、源義経の家臣として各地を転戦する。義経が兄頼朝と敵対し奥州へ逃れると、義経を慕って奥州へ身を寄せ、衣川の戦いで討死。一説では、岩手県宮古市にある横山八幡神社の宮司となったなど、衣川の戦い以後も生存していたとの伝承も残る。
なお史実では建久年間に井上荘の地頭に任ぜられていたのは津幡隆家とされている。

アクセス:石川県金沢市八田町東