雷神社

【いかずちじんじゃ】

創建は承平元年(931年)。祭神は火雷神となっているが、実際は菅原道真を指しているという見解もある。菅原道真と言えば現在では学問の神であるが、没後直後に祀られた頃は強力な祟り神、特に雷を自在に繰り出す“天神”として畏怖されてきた。この神社はこの系譜を受け継いでいると言え、古くから雨乞いがおこなわれた記録がある。

社殿が現在地に遷されたのは天正9年(1581年)のことで、この一帯を治めていた朝倉能登守による。それまでは近くにあった築島という入り江の小島に神社あったが(今はかなり内陸あるが、かつてはここまで海が入り込んでいた)、この社殿の移設の原因となったとおぼしき伝説が今も伝えられている。

永禄2年(1559年)のこと。築島にあった社に12名の女性がお籠もりをしていた時、凄まじい落雷が襲い、社殿が焼失した。ところが女性たちは全員無事であり、代わりに境内にあった柏槇(ビャクシン)の木が黒焦げになっていた。この出来事を知った人々がこの奇跡を祭神の加護とみなしたのは言うまでもなく、今もこの神社の主要なご利益として災難除け・身代わり守護があり、地元では「かみなり神社」と呼び親しんでいる。そして旧社地には、その黒焦げとなった柏槇の木が今も丁重に祀られている。

<用語解説>
◆朝倉能登守
1523?-?。朝倉犬也の名でも知られる。出自は越前朝倉氏の宗家に繋がるとされるが、不明なところもある。北条氏の家臣として、玉縄城主・北条氏勝に従って各地の戦いに参加している。『北条記』などでは“いくさ奉行”とも書かれ、かなりの武功があったと考えられる。北条氏の滅亡によって浪人となるが(この時67歳であったとの記録あり)、徳川家康次男の結城秀康に武功を惜しまれて召し抱えられる。その後秀康の福井移封に従って越前へ赴いたことまでは記録されているが、没年は不明。

アクセス:神奈川県横須賀市追浜本町