報恩寺 撞かずの鐘
【ほうおんじ つかずのかね】
西陣の一角にある浄土宗の名刹である報恩寺。この寺は「鳴虎」という有名な絵があることで、通称として【鳴虎報恩寺】として知られている。
しかし、この寺にはもう一つ有名なものがある。それが梵鐘である。この鐘は平安時代後期の作で、重要文化財に指定されている。特に歴史的な価値があり、 説明書きによると、全面梵字が刻まれた珍しい鐘であり、室町時代には管領畠山持国が陣鐘として使用し、また豊臣秀吉もこの鐘を愛玩したとされている。まさに由緒正しい梵鐘である。
しかしこの鐘は別名【撞かずの鐘】と言われる。この別名に関して、実は怪異があるのである。
江戸時代の頃、この寺の近くにあった織屋(織物業を営む店)に15才の丁稚と13才の織女(おへこ)がいた。ところがこの二人が仲が悪い。顔を合わすたびに口喧嘩が絶えず、近所でも有名であった。
ある時、毎夕撞かれる報恩寺の鐘の数のことで2人は言い争いになる。丁稚は8つと言い、織女は9つと言い張る。そこで確かめて、負けた方が何でも言う通りのことを聞くこととなった。丁稚は前もって報恩寺の寺男に数を尋ねて9つだと言われるや、その日だけ8つにして欲しいと頼み込んだ。そしてその日、報恩寺の夕べの鐘は8回で鳴り終わった。
翌朝、報恩寺の鐘楼に首をくくって死んでいる織女が発見された。そしてそれ以降、鐘を鳴らすとその織女の幽霊が鐘楼に現れ、不吉なことが起こるようになった。そこで織女の供養をし、鐘を撞くのをやめてしまったという(現在でも、大法要と除夜の鐘以外では撞かれることがないという)。
<用語解説>
◆畠山持国
1398-1455。室町幕府管領。山城国などの守護。嫡子がなく、晩年は家督争いの火種を残してしまう。庶子の義就と甥の政長とのお家騒動は応仁の乱の原因となった。
アクセス:京都市上京区小川通寺之内下ル射場町