班女塚
【はんじょづか】
京都のビジネス街から歩いて数分、室町高辻というところに目的の塚はある。結構奥まったところに位置しているのだが、この塚に関する道標は一切ない。
この塚の由来は『宇治拾遺物語』に詳しくある。
この辺りに昔、長門前司の2人の娘が住んでいた。姉は既に嫁いでいたが、妹の方はまだ結婚もせず厄介になっていた。その妹が病で死んだので、棺桶を鳥辺野へ運んでいった。だが、気が付くと棺桶は空っぽ。消えた遺体を探して戻ってみると、玄関先に遺体がある。翌日再び運ぶと 遺体が消えて、また玄関先に置かれていた。しかも今度は遺体を動かすことができない。多分この地に葬って欲しいのだろうということで、この地に埋めてしまった。その後、姉もこの地を去り、人々も気味悪がって去ってしまい、この辺りは誰も住む者がなくなったということである。
誰も訪れることもなさそうな場所に、小さな祠とその後ろに大きな岩が鎮座している。これが班女塚である。この塚は男性と縁のなかった女性を慰めるために設けられた塚であり、それ故、未婚の女性がこの前を通れば破談となるという言い伝えがある。
班女塚は通りから離れた場所にひっそりとあるのだが、「班女」という名に通じるということで、すぐそばの通りに面した場所には「繁盛神社」という、まことに御利益のありそうな神社が建っている。弁財天が祀られているが、この神社自体もかなり古くからこの地にあると言われている。
<用語解説>
◆『宇治拾遺物語』
13世紀前半頃に成立した説話物語集。この班女塚の話は、第三巻の「長門前司女 葬送の時本所にかえる事」として記載されている。
◆班女
紀元前1世紀頃の中国(前漢)の女性。班倢伃(はん・しょうよ)。前漢11代皇帝・成帝に寵愛されるが、後にその寵を失い、失意の内に皇帝の許を去る。寵愛を失った女性の象徴として、しばしば詩の題材とされた。班女塚の名前もおそらくそのイメージから名付けられたものであると想像する。
アクセス:京都市下京区室町通高辻西入ル繁昌町