首切地蔵
【くびきりじぞう】
奈良には“ジャンジャン火”と呼ばれる怪火が現れたという。ただし怪火であればどのような場合でも“ジャンジャン火”と呼び習わしていたようであり、地域によって伝承の内容が異なることが多い。
天理大学の南東角の交差点にある地蔵堂には、胴体と首とが真っ二つになった地蔵が安置されているが、このような姿になった由来にも“ジャンジャン火”が登場する。
この場所から南東に行った場所に龍王山という山がある。戦国時代の末期に、その山腹に龍王山城があった。この城は大和の小領主である十市氏が治めていたのだが、敵対する領主(筒井氏とも松永氏とも)によって攻め落とされた。十市氏の武者達が「残念、残念」と言って自害して果て、その怨念が火の玉となって飛び回ったのが“ジャンジャン火”であるとされる。そしてその火を見ると、病気になるとか死ぬとか言われ、大変恐れられたのである。
昔、大晦日の夜に、このあたりに住む庄右衛門という浪人がこの地蔵堂で休んでいると、いきなりジャンジャン火が飛んできた。恐れおののいた庄右衛門は、手にした提灯で防いだが役に立たず、とうとう刀を抜いて辺り構わず振り回した。しかしもはやどうすることも出来ず、最後には庄右衛門は黒焦げになって死んでしまったという。さらに翌日になると、庄右衛門の焼死体にはびっしりと奇妙な虫が付いていたという。そして庄右衛門の刀が当たったためか、地蔵堂にあった地蔵の首が見事に斬り落とされていたのである。それ以来、この地蔵は首切地蔵と呼ばれるようになったとのこと。
<用語解説>
◆ジャンジャン火
奈良地方に現れた怪火であるが、いくつかの異なる伝説がある。
1.心中した夫婦を大安寺と白毫寺に別々に埋葬してしまったため、雨の降る夜に両方の墓地から火の玉が飛んできて、夫婦川のあたりで絡み合って戻るという行動を繰り返す。いつまでも見ていると、火の玉が追い掛けてくるという。
2.龍王山にある十市氏の城跡に向かって、雨の降りそうな夜に「ホイホイ」と呼びかけると、ジャンジャンと唸りを上げて火の玉が飛んでくる。見た者は数日熱にうかされるという。あるいは呼んだ者を取り殺すという。また山へ退治に行った者が兜に咬みつかれて死んだとか、蜘蛛の糸のようなものに巻かれて死んだとも伝わる。
3.大和郡山藩の家老の息子と百姓の娘が打合橋で逢い引きしていたのがばれ、息子が橋で斬首され、同時に娘が橋の下で自害した。それ以来、毎年その日になると打合橋に2つの火の玉が現れてジャンジャンと音を立てて舞ったという。
◆十市氏
筒井氏・古市氏・越智氏と共に大和国の有力国人衆であった。十市遠忠(1497-1549)の時代に最盛期を迎える。遠忠の死後は筒井氏に攻められて衰退したため、新たに大和に進出した松永久秀と組むなどして対抗。その後は筒井・松永両派に一族が分裂して反目する。最終的に松永久秀の滅亡後に筒井氏の傘下に入る。
アクセス:奈良県天理市田井庄町