伊雑宮
【いざわのみや】
伊勢神宮内宮の10ある別宮の1つであり、志摩国一之宮である。遙宮(とおのみや)と呼ばれ、瀧原宮と共に古来より尊崇を集めてきた。倭姫命が内宮を建てた後に神饌を奉納する場所を求めて志摩国へ赴き、この地を選定して伊雑宮を建立した、と伊勢神宮では採っている。その他にも、当時の志摩国で唯一水田耕作が可能だった土地であるため、また海女などの漁労関係者の崇敬が篤く海との関わりから成立したとも言われている。
伊雑宮の神事として最も有名なものは、6月におこなわれる“御田植祭”である。これは日本三大御田植祭とされ、国の重要無形民俗文化財に指定されている。この日は志摩の海女は海に潜ることを禁忌とし、伊雑宮に参詣することとなっている。また伝承として、この日には伊雑宮へ“七本鮫”と呼ばれる七匹の鮫が的矢湾から神路川を遡って大御田橋のところまで参詣に来ると伝えられる(ただしある年、伊雑宮から帰る途中の1匹を漁師が銛で突き殺してしまったために、その後は6匹で参詣に来るという)。この鮫は伊雑宮のお使いであるとも、龍宮からのお使いであるとも言われており、伊雑宮が海との関わりを大いに持つとされる所以となっている。
さらに伊雑宮にまつわる伝承では、龍宮へ行ってきた海女が木箱をもらってきて、箱を開けずに大切にしていたら家は代々繁盛、もし開けたら祟りを為すと言われたという。戒めを破って箱を開けると、中から大きな蚊帳が出てきた。驚いて元に戻そうとするが、箱に入りきれず、とうとう伊雑宮へ蚊帳と箱を奉納したという。その海女の家はほどなく途絶え、その土地に住む者も不幸が続いたとされる。
また伊雑宮については、歴史的な事件によってミステリアスな噂が今なお続いている。延宝7年(1679年)、江戸で発見された『先代旧事本紀大成経』には、伊雑宮こそが日神(天照大神)を祀る社であり、内宮は星神、外宮は月神をそれぞれ祀ると書かれていたのである。この内容は伊雑宮の神官が主張していた説であったが、伊勢神宮から幕府へ訴えがあり、翌々年にこの本は“偽書”であるとされて発禁処分となった。そしてこの書を書店に持ち込んだとされる永野采女と潮音道海、作成を依頼した伊雑宮の神官が罰せられたのである。しかしこの書物はその後も読み継がれ、垂加神道にも影響を与えた結果、現在でも“真書”であると信じられることがあり、オカルティックな言説がいまだに流布するところとなっている。
<用語解説>
◆倭姫命
第11代垂仁天皇の第四皇女。第10代崇神天皇の皇女・豊鍬入姫命の後を継いで、天照大神の依代(御杖代)として諸国を回り、神託により伊勢国に皇大神宮(現在の内宮)を創建する。伊勢神宮に奉仕する斎宮の祖とされる。また甥にあたる日本武尊が東征の折、天叢雲剣を授けた。
◆『先代旧事本紀』(せんだいくじほんき)
天地開闢から推古天皇の治世までが書かれた歴史書。序文に聖徳太子と蘇我馬子が著したと書かれているが、実際には9世紀頃の作とされる。度会神道・吉田神道において、記紀と並んで“三部の本書”とされ、重要視される。江戸時代には『大成経』などの偽書も多く出回り、江戸中期にはこの書物自体も偽書であるとする学者も現れた。
アクセス:三重県志摩市磯部町上之郷