金城霊澤

【きんじょうれいたく】

兼六園に隣接する金澤神社のそば、大きな四阿風の建物がある。「金城霊澤」の額が掲げられており、屋根の天井には小さいながらも竜の絵が描かれている。そしてこの建物の下から滾々と水が湧き出ている。これが金沢の地名の由来となった金城霊澤である。

金城霊澤は加賀藩12代藩主の前田斉広(なりなが)がこの地に竹沢御殿を建てた時に整備されたものであるが、水源地としては相当昔から湧いていたものであり、金沢のもう1つの発祥の伝説となる、芋掘り藤五郎とも大いに関係している。この水源こそが、藤五郎が掘った芋を洗った場所であり、大量の砂金が取れた場所であるとされている。それ故にこの地は「金洗い沢」と呼ばれるようになり、それが転じて金沢の名称となったとも言われている。

<用語解説>
◆芋掘り藤五郎
加賀国の山科に住んでいた藤五郎は、貧しくも山芋を掘って生計を立てていた。ある時、大和の長者の姫が観音菩薩のお告げによって藤五郎に嫁いできた。姫は砂金の入った袋を手渡して買い物を頼んだが、藤五郎はそれを鴨を捕るために投げつけて、結局手ぶらで帰ってきた。金のありがたみを知らない藤五郎に怒る姫に対して、藤五郎は芋を洗って砂金を見せた。姫はそれが金という価値あるものと教え、夫婦は大金持ちになったという。
この物語は全国各地に散見できる長者伝説であり、金沢独自の伝承ではない。

アクセス:石川県金沢市兼六町