宗泉寺 ミズシの墓
【そうせんじ みずしのはか】
志賀町にある宗泉寺には「ミズシ」の墓と呼ばれるものが残されている。山門を入って本堂へ向かう途中の左手、とりたてて他に何もない場所に五輪塔の一部が置かれてあるが、墓であるという。「ミズシ」とは加賀・能登あたりで河童のことを指すが、この墓は近くにある淵端家の者が建てたと言われている。
慶長年間(1596~1615年)のこと、淵端家の主人が馬を米町川に連れて来て水浴びをさせていると、いきなり馬が走り出した。屋敷に戻ってきた馬を見ると、尻尾に一匹のミズシがしがみついていた。おそらく馬の尻子玉を取ろうとして失敗したのだろうと推察した主人は、ミズシを取り押さえると屋敷のタブの木に縛り付けて折檻をした。陸の上に引き揚げられたミズシは全く力が出せないために、「秘伝の薬の作り方を教えるから助けてくれ」と命乞いを始めた。主人は殺すつもりまではなかったので、願いを聞き入れて薬の調法を紙に書かせると、縄を解いて解放してやったという。
その後、この薬を売り出したところ「ミズシのねり薬」ということで評判となって、家業が繁栄したという(疳薬として平成に入る頃までは売られていたと言われている)。またしばらくの間は、ミズシが川魚を魚籠に入れてタブの木に引っ掛けておいていったともいう。
以前地図に「疳薬本舗」と表示のあった場所には、かつて薬店を営んでいた名残のある家があった。そしてその家の前には、現在でも注連縄の張られた古木がある。おそらくそれが河童を縛り付けたタブの木なのだろう。
アクセス:石川県羽咋郡志賀町堀松