七天王塚
【しちてんのうづか】
千葉大学医学部のキャンパス内外にある7つの塚。これが七天王塚である。キャンパス内に5つ、残り2つは敷地に面した道路沿いにある。いずれの塚も牛頭天王を祀っており、しかもかなり大きな木が生えている。そしてこの7つの塚は、上空から見ると北斗七星の形に配置されているとされている。
亥鼻地区は、かつて下総・上総を領有していた千葉氏の本拠地である。千葉氏は平常兼を祖とする房総平氏の一族であり、さらにそれを遡れば平忠常、そしてその母方の祖父として平将門に繋がる。
七天王塚の伝承は、平将門を抜きにしては語れない。七天王塚は北斗七星をかたどっているが、これは将門が信仰していた妙見信仰の象徴である。また祀られている牛頭天王も、妙見信仰に関わる神である。さらにこの塚についても、将門の7人の影武者の墳墓であるという説もある。
このほかにも、七天王塚に葬られているのは千葉氏の7人の兄弟であるとか、千葉氏の居館の鬼門に置かれたものであるとか、墳墓や祭祀的なものであるという説がもっぱらであるが、中には千葉氏居館の土塀の名残であるという説もある。また最新の調査では古墳時代の古墳群の可能性もあると言われる。
平将門に絡むためなのか、この七天王塚にはまことしやかに祟りの噂がある。特に有名なものは「塚の生えている樹木の枝を切り払うと祟る」というもの。さらにこの噂のバリエーションとして、伐採を主張した大学関係者に不幸があったという話まである。祟り系の噂としてはさほどのものではないが、大学医学部の敷地内にいまだに保存されているという事実が、妙な信憑性を生み出している側面があると思われる。
<用語解説>
◆千葉氏
房総平氏の一族。平常兼(1045-1126)を祖とする。亥鼻に居館を構え、千葉姓を名乗るようになったのは、その子の常重の頃とされる。常重の子の常胤の時に、源頼朝に味方して、下総から上総一帯を領する有力御家人となる。その後は一族内の内紛などで徐々に衰退。戦国時代には小田原の北条氏と結んで命脈を保つが、豊臣秀吉の小田原攻めによって滅亡。
◆妙見信仰
仏教としては妙見菩薩を信仰する形を取るが、実際には北極星(北辰)を天にある不動の存在(天帝)として崇める道教思想から生まれた。また天帝の乗り物として北斗七星も信仰の対象となった。これらが神格化したものが“鎮宅霊符神”であり、また陰陽道では“牛頭天王”も同一神とされ、さらに神仏習合では牛頭天王の本地は“素戔嗚尊”、垂迹は“薬師如来”とされる。
平将門は妙見菩薩を守護神として信仰しており、また千葉氏の家紋である月星紋は妙見信仰の象徴であるとされる。
アクセス:千葉県千葉市中央区亥鼻