雄蛇ヶ池
【おじゃがいけ/おんじゃがいけ】
雄蛇ヶ池は慶長19年(1614年)に完成した灌漑用貯水池である。10年の歳月を掛けて造られ、周囲は約4.5kmとかなり大きい溜め池である。現在では灌漑用水に利用されるだけでなく、釣りや池周辺の散策などのレジャースポットにもなっている。
歴史の長い池である故に、不思議な伝説も多い。特にその名が示す通り、大蛇にまつわる内容が多い。
池が出来る前よりこの辺りには水源となる沼があり、ここに蛇神が住んでいたとも言われる。雄蛇ヶ池の造営にあたることとなる島田重次の枕元にその蛇神が現れて、造営を促したという。
あるいは、蛇神は白い蛇であり、身分違い故に一緒になることが出来ないことを悲観した娘が池に入水して変化したものであるという言い伝えも残されている。
さらには、池の近くに住む娘が、意識のないまま夜な夜な家を抜け出して池のふちまでやって来ることを繰り返す。そのたびに年老いた両親が連れ戻していたが、ある時、草履を残したまま姿を消してしまった。慌てた両親が池の周りを探して7廻りしたところ、突然池の中から大蛇が姿を現し、それきり娘は帰ってこなかったという伝説もある。(雄蛇ヶ池には「池の周りを7周半すると、大蛇が水面に現れる」という言い伝えが残されている)
そして蛇の登場しない伝承もある。若夫婦の嫁が姑に苛められ、ついには自慢の機織りを貶され、雨乞いのために奉納する布をずたずたに切り裂かれた。今まで我慢してきた嫁であったが、この出来事に耐えきれず、池に身投げをしてしまった。それ以降、しとしとと雨の降る夜には池の底から布を織る音が聞こえるという。
<用語解説>
◆島田重次
1545-1637。徳川家譜代の旗本。大坂の陣では、徳川秀忠の旗奉行を務める。また関東代官頭の伊奈忠次に属して、代官を務める。雄蛇ヶ池の造営も、代官としての施政の一つである。死後、雄蛇ヶ池そばの水神宮に祀られる。
アクセス:千葉県東金市田中