お初地蔵
【おはつじぞう】
岩国と柳井を浜伝いに移動すると、そのほぼ中間地点にあるのが由宇の町である。小さな町であるが、かつては藩の代官所が置かれるなど、地域の産業の中核的役割を果たしている。中心街の北側を由宇川が流れ、幾つかの橋が架けられているが、その1つ千歳橋の南詰に立派な小堂がある。これがお初地蔵を祀る堂である。
堂の横にある案内板によると、この地蔵は、橋の近くにある桝屋の娘で、美人で評判のお初によく似た顔立ちの美しい地蔵であったので、いつしかこの名で呼ばれるようになったとある。また台座に明和7年(1771年)に桝屋が施主となった旨が彫られており、その時以来この地に祀られていることが分かる。しかしこの地蔵がどのように建立されたかの縁起については書かれていない。
『由宇町史』によると、次のような伝説が残されている。
享保年間(1716~1736年)、出雲屋の跡取り息子の勘兵衛と由宇村のお初という娘が恋仲となった。しかしお初の家は貧しく、大店の息子の勘兵衛に嫁ぐことは叶わぬことであった。それでも逢瀬を重ねる2人であったが、とうとう思いあまって心中をしようと海に飛び込んだのである。だが、たまたま通りがかった船が入水する2人を見つけて救い上げる。やがて勘兵衛は息を吹き返したが、お初だけは生き返ることなく亡くなったのである。
それから50年ほどの年月が経った。既に齢70を越えた勘兵衛は一念発起して、かつての思い人であったお初の冥福を祈るため一体の地蔵を彫った。これが“お初地蔵”の始まりであるとしている。
アクセス:山口県岩国市由宇町中央