むかい地蔵
【むかいじぞう】
木曽川水系の一級河川である犀川に架かる上犀川橋の両側に、よく似た形の小さなお堂があり、それぞれ一体ずつ地蔵が祀られている。約50mほどしかない橋の両側に同じような地蔵が置かれているのには、次のような悲話が起こったからと伝わっている。
この辺りは今は瑞穂市という1つの町になっているが、平成初期の頃までは犀川を挟んでそれぞれ巣南町と穂積町という2つの自治体であった。すなわち目と鼻の先にある場所なのだが、長年にわたって生活基盤が異なる、場合によっては水利をめぐって対立するような関係であった。
ただここには昔から簡素な橋が架けられており、最低限度の交流はあったことからか、それぞれの集落の若い男女がいつしか恋仲になった。しかしお互いの集落の関係から、二人が夫婦になることは絶対にあり得なかった。しばらく二人は隠れて橋のところで逢い引きをしていたが、ある大雨の日、覚悟の上であったのか、互いの身体を紐で括りつけて川に身投げしたのである。
数日後抱き合ったままの二人の遺体が見つかった。これを見た互いの集落の者は話し合って、二人を慰霊するために橋の両側に地蔵を安置することを決めたのである。川の西側にある巣南町古橋には男の地蔵、穂積町十九条には女の地蔵が安置され、お堂はそれぞれ川の対岸に向かって開くように建てられた。現在、この2体の地蔵は川を挟んでお互いを見つめ合うように立っている。
ちなみにこの伝説を取り上げた『すなみ百話』によると、この二人が身投げした大雨の直後に洪水が起こったとされ、町の記録をたどると明治期にそのような洪水があったことが確認出来たという。そのためこの心中事件はその頃に起こった出来事ではないかと推察している。また現在では織姫と彦星になぞらえて、七夕の日に近くの子供たちが飾り付けをしてお祀りする行事もおこなわれているとのこと。
アクセス:岐阜県瑞穂市古橋/十九条