尖石様

【とがりいしさま】

国の特別史跡に指定されている尖石遺跡は、日本で初めて確認された縄文時代の集落跡である。同じく一括で特別史跡指定されている与助尾根遺跡と合わせると、約80箇所の竪穴住居跡が発見されている。この“尖石”という名の由来となったのが、遺跡の南はずれにある石である。

この石は高さ1mあまりと目立って大きい石ではないが、その先端部分の三角錐の形状がただならぬ印象を与えている。この尖石様はかなり昔から村人の信仰の対象となっていたようであり、現在も石のそばには小さな石の祠が置かれ、何らかの謂われがある塚石のように見える。

この一帯で遺跡が見つかったのは、明治25年(1892年)頃のことである。縄文時代の土器や石器が大量に出土した時、村人は祟りを怖れてそれらを捨てたという。またこれらの出土品がかつてこの地に長者の屋敷があった証拠であるとも言われた。おそらくこの尖石様の存在が、この土地に何らかの曰く因縁があると思わせたものと推測される。そしてその極め付けが「尖石様の下には財宝が埋められている」との噂である。さらにそれを信じて夜中にこっそりと発掘しようとした村人がいたが、その夜の内に瘧にかかって死んでしまったという。

遺跡の発掘と共に尖石様が信仰の対象となった根拠として挙げられるようになったのは、石の右肩部分にある“溝”である。これは縄文時代に、磨製の石斧を作る仕上げとして、この石を使って擦り磨いた跡とされている。つまり集落の共用の道具として使われ続けた事実を経て、その記憶だけが残り、最終的に何らかを祀る存在として畏敬の念を持って接されてきたのだろう。

<用語解説>
◆尖石縄文考古館
尖石・与助尾根遺跡の発掘と保存に尽力した考古学者・宮坂英弌が昭和26年(1951年)に自宅に開設した「尖石館」を始まりとする歴史博物館。昭和30年(1955年)に茅野市立の施設となる(初代館長は宮坂)。現在は、同じ茅野市から出土された2体の国宝土偶(縄文のビーナス・仮面の女神)を展示している。

アクセス:長野県茅野市豊平