琴弾岩

【ことひきいわ】

真備町の名前は、奈良時代の政治家・吉備真備に由来する。右大臣にまで登りつめた人物であるが、その出自はこの吉備地方出身の豪族であり、中央政界での出世は歴史上まさに唯一無二のものである。

ところが、吉備真備の晩年は謎に包まれている。宝亀2年(771年)に右大臣の職を辞してからは完全に歴史の表舞台から消えてしまい、その4年後の死去の記録以外、所在すら全く不明である(墓と伝わる塚は奈良市内にある)。 真備町を流れる小田川を臨む岸辺に、琴弾岩という名の巨石がある。この岩には、晩年故郷に戻った真備が、中秋の名月を眺めながらこの岩の上で琴を弾じたという伝説が残されている。そして、吉備真備の遺徳を偲ぶという目的で、昭和24年(1949年)から「弾琴祭」と称して、毎年中秋の名月の夜にこの岩の上で琴と尺八の演奏会が開かれている。

<用語解説>
◆吉備真備
695-775。吉備出身の政治家。遣唐留学生として唐へ赴き、多くの政治や文化の知識を習得。帰国後は聖武天皇の寵愛を受けて出世する。一時期大宰府や遣唐副使など、中央政界から脱落するも、政敵の藤原仲麻呂失脚後に復権。最終的に右大臣にまで登りつめる。

アクセス:岡山県倉敷市真備町妹