滕池神社
【ちきりいけじんじゃ】
安芸国一之宮の厳島神社の祭神は市杵島姫神・湍津姫神・田心姫神の三女神であるが、最初に降臨したのは筑前国の宗像大社である。そのためか、厳島神社へ至る周辺の地では、この三女神が宮島へ赴く道中にさまざまな出来事(大抵は不幸な目)に遭うという伝説が複数存在する。滕池神社もそのような伝説を持つ神社である。
筑前から陸路で宮島へ向かう市杵島姫神は、機織道具一式と2歳になる子を抱えて、ようやく安芸国にまでやって来た。ところが、あと少しというところに難所の急坂があった。そこまで何とか苦労してきた姫神であるが、さすがに道中精根尽き果てており、今の荷のままではこの坂を登り切れないと悟った。そこで泣く泣くここまで持参してきた機織道具の一つである“滕”を坂の脇にある池に投げ棄てて宮島に向かうことにした。その時、姫神は「えらや苦しや この苦の坂は 金の滕も 要らぬもの」とつぶやいたと言われ、この急坂は“苦の坂”と呼ばれるようになったという。
滕を投げ棄てた池は“滕池”と呼ばれたが、その後埋められて滕を御神体として市杵島姫神を祀る滕池神社が建立された。さらに社殿の石垣部分に“汐湧石”という霊石があり、旧暦6月17日の厳島神社管弦祭の夜になると石の穴から海水が噴き出てくると、いつの頃からか伝えられるようになったとのことである。
<用語解説>
◆厳島神社の管弦祭
平清盛が始めたとされる、厳島神社の重要神事。当日夕刻より祭神を乗せた御座船数隻が管弦を奏しながら、厳島神社から対岸の地御前神社、さらに宮島の長浜神社・大元神社などを回って、日付の変わる頃に戻ってくる。
アクセス:広島県大竹市木野