一寸坊の墓

【いっすんぼうのはか】

昔、小松ヶ池の大蛇と村娘との間に一人の男の子が生まれた。その子は体が小さかったために「一寸坊」と呼ばれるようになった(有名な『御伽草子』に登場する一寸法師とは全く出自が異なる)。景行天皇の九州遠征の際に仕え、その危難を救って多くの褒美をもらったという。その褒美を元に一寸坊は先祖供養のために49の寺院を建立し、その地は菩提と呼ばれるようになった。そして死後に菩提の地に供養塔が建てられたとされる。

かつて49の寺院が建ち並んでいた地には、わずかに寺院が一つだけ残されているだけであるが、その宝積寺近くの墓地の一角に一寸坊の墓がある。墓と称されているが、実際には石塔の一部であり、建造されたのも鎌倉時代と推定されている。

<用語解説>
◆景行天皇
第12代天皇。日本武尊の父。『日本書紀』によると、景行12年に熊襲が反抗したので、自ら下向してそれを誅したとされる。その際、京都郡に仮宮を置き、土蜘蛛を征伐したとの記録がある。ただし『古事記』には九州遠征は全く記載されていない。

アクセス:福岡県京都郡みやこ町勝山松田