月読神社 月延石
【つきよみじんじゃ つきのべいし】
松尾大社の境外摂社という社格を持つ月読神社であるが、実は過去の社格を確認すると、並みの神社ではないことがわかる。それどころか、古代史の謎の一端をかいま見せてくれる。
月読神社の祭神は月読尊である。天照大神の弟神であり、素戔嗚尊の兄神である。天照大神が太陽神であるのに対して、月読尊はその名の通り月神である。そしてこの月読神社の本社はなぜか京都から遠く離れた壱岐島にあり、海神の性格も併せ持つ神とされている(月の満ち欠けと潮の干満との関係から来ているのだろう)。
『日本書紀』によると、顕宗天皇3年(487年)に任那へ派遣された阿閉臣事代(あべのおみことしろ)に月読尊が憑依して、山城国に神社を創建したとある。京都でも最古の部類に入る神社である。そして斉衡3年(856年)に現在の地に置かれ、貞観元年(859年)の記録では松尾大社に次ぐ高位に叙されている(当時としては、稲荷や貴船よりもはるかに高位)。
この月読神社に関わる人物として神功皇后がいる。身重だった神功皇后は月神の託宣を受けて、神石をもって腹を撫で、 無事に男児(後の応神天皇)をお産みになったという。その石がこの月読神社にある。その名も月延石。神功皇后の伝説と、“月のもの”が延びるという名前から、安産のご利益があるとされている。昭和の頃の写真を見ると月延石は3つあったのだが、現在はいつの間にか1つだけになってしまっている。
<用語解説>
◆月読尊
黄泉の国から逃げ帰った伊弉諾尊が、身を清めた時に天照大神・素戔嗚尊と共に生まれてきた神。『古事記』ではこの話以外の記述はなく、『日本書紀』では保食神が饗応するために口から飯を出したのを見て、怒りにまかせて殺してしまったため(この死体から農作物が出来る)、姉である天照大神が怒り、太陽と月とは一緒に現れることがなくなったとされる。これ以外に登場することはなく、その存在感は非常に薄い。
アクセス:京都市西京区松室山添町