大酒神社

【おおさけじんじゃ】

太秦(うずまさ)の地は【日猶同祖論】の有力な証拠を多くも持っているといわれている。とにかく、この地を最初に治めた秦氏自体がユダヤと大いに関連性があるとされているからである。秦氏は朝鮮から渡ってきた渡来人である。彼らは秦の始皇帝を祖とする一族であると名乗り、直接の先祖(つまり最初に日本に来た者)は弓月君<ゆづきのきみ>としている。しかし、その先祖の名に大きな意味がある。

『新選姓氏録』に14代仲哀天皇の時代に弓月国から使者(弓月君の父に当たる功満王)が来たとあり、それが秦氏の先祖であるとされているのである。その弓月国こそ、シルクロードを経由してユダヤの末裔が建国した“原始キリスト教の国”なのである。そして彼らが最終的に本拠地とした太秦も【大秦】の文字をはめたのだろうという説がある。【大秦】とは、【ローマ】の漢字表記である。

この太秦の地の土地神としてあるのが大酒神社である(祭神は始皇帝・弓月王・秦酒公)。元々この神社は広隆寺の寺内社であったのだが、明治の神仏分離政策で分離させられた。

この神社の名であるが、現在では【大酒】となっているが、かつては【大避】あるいは【大闢】とされていた。この【大闢】は中国では【ダビデ】を意味する。つまり、この神社の名前はユダヤの王を表しているのである。これが太秦における【日猶同祖論】最大の拠り所とされている部分である。

さらにこの神社の祭りとして有名なのが“牛祭り”である。“摩多羅神”なる神様が牛に乗って練り歩き、広隆寺敷地内で珍妙な祭文を読み上げて走り去ってしまうという、摩訶不思議な祭りである。秦氏のルーツと目される中央アジア周辺には【ミトラ教】なる教えがあり、その最高神であるミトラ神が実は牛の頭を持つ神として伝えられている。そのため、多くの研究家はこの祭りをミトラ教信仰の名残と推察している。

<用語解説>
◆弓月国
3世紀から6世紀にかけて、現在のカザフスタン国内に存在していた国。原始キリスト教を信仰していたとされ(日猶同祖論で主張される“ネストリウス派キリスト教”は5世紀頃になって東播したとされるので、整合性に欠ける)、秦氏の祖である弓月君がキリスト教を信仰し、日本に持ち込んだ可能性があるという説がある。

◆弓月君
『日本書紀』によると、応神天皇14年に百済にあり帰化を希望するが、新羅の妨害があって、16年に来日。秦の始皇帝の末裔であると名乗っている。その後一族は、仁徳天皇の代に秦姓を賜り、雄略天皇の代に太秦の地を賜る。

◆『新選姓氏録』
弘仁6年(815年)に編まれた、古代氏族の名を集めた書籍。約1200の姓が記載されている。

◆ダビデ
イスラエルの初代王サウルに仕え、後に王位を継承する。エルサレムに都を置き、息子のソロモン王の2代にわたり繁栄を築く。

◆ミトラ教
起源はインド・イランのアーリア人の信仰に遡る。ギリシア・ローマに広まった頃には秘儀の宗教となっており、牡牛を屠る儀式をおこなっていたとされる。一時的にローマ帝国で爆発的に流行したが、キリスト教が国教化されて急激に衰退する。秘教であったこと、キリスト教徒によって徹底的に破壊されたことによって、ミトラ教の全容は明らかではない。一方で、ミトラは「弥勒」の名称で別の信仰対象とされていくことにもなる。

アクセス:京都市右京区太秦蜂岡町