更雀寺

【きょうじゃくじ】

藤原実方という人物がある。あるとき殿中で藤原行成と口論となり、怒りにまかせて行成の冠を投げ捨ててしまった。その一部始終を見ていた一条天皇は「歌枕を見てこい」と言って実方を奥州へ左遷したのである。

それから3年後、実方は奥州で客死する。馬に乗っていた実方が笠島道祖神社の道祖神をけなしたために神の逆鱗に触れ、馬もろとも蹴り殺されたと伝えられている。一説では落馬が原因で死んだとも伝えられている。いずれにせよ、京都の土を踏むことなく亡くなったのである。

実方が奥州で客死したという知らせが京都へ伝わったちょうどそのとき、清涼殿に一羽の雀が舞い降りて膳の飯をついばむと、さらに藤原氏の私学校である勧学院へ舞い降りてそのまま息絶えてしまった。それを聞いた人は“京都へ帰りたかった実方の一念が雀となって戻ってきたのであろう”と噂しあったという。そして勧学院に【雀塚】なるものを建てて、実方の霊を慰めたという。

妖怪ファンなら、上のエピソードをご存じの方は多いはず。鳥山石燕の【入内雀】こそがこの話をもとに描かれた妖怪なのである。

雀塚は勧学院に建てられたのだが、後に勧学院跡(四条大宮西側)にできた更雀寺に祀られていた。しかし、昭和52年に四条大宮のターミナル化に伴い、左京区の静原に移転することとなり、雀塚も同時に移転した。

<用語解説>
◆藤原実方
?-999。左近衛中将。中古三十六歌仙の一人であり、その歌は百人一首にもおさめられている。また清少納言とも恋歌のやりとりをし、あの光源氏のモデルの一人とも言われるほどの才色兼備の人物であったという。

アクセス:京都市左京区静市市原町

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