頂法寺 六角堂

【ちょうほうじ ろっかくどう】

聖徳太子が創建という、平安京以前からここにある古い寺院である(正式には紫雲山頂法寺。六角堂という名前はそのお堂が六角形をしているところからきたという)。

かつて聖徳太子が四天王寺建立の用材を求めて山背(やましろ)へ来たが、一服しようと近くの泉で水浴びをした。いつも首からかけていた如意輪観音像をそばの木に引っかけていたのだが、水浴びを終えていざ取ろうとするとそれが取れない。そこへ通りがかった農夫に「その木の上に紫色の雲が見える」と言われ、 太子はこの木が霊木であることを悟った。そしてこの木を切って如意輪観音を納めたのが、六角堂の起こりと言われる。

またこの泉から名付けられた塔頭が「池坊」であり、六角堂の管理をおこなうと共に、華道家元として現在に至る。

ここには平安京建設の基準点となった「へそ石」がある。このへそ石を中心として平安京の東西南北の道はできたという。しかしこの建設の際、六角堂は東西に延びる道の妨げとなってしまう。そこで天皇の勅使が「できれば南北どちらかへお動き下さい」と祈ったところ、六角堂は北へ少し動いて、道が貫通できたという。何とも不思議な伝説である。

へそ石は六角堂の正面に当たる場所にある。昔の写真を見ると金網が張られ無愛想な感じであったが、今は周囲を敷石で飾られ、六角形のロープが張られた状態で見やすいようになっている。そういうと、へそ石自体も六角形をしている。

六角堂の真正面、へそ石の隣に立派な柳の木がある。一名「地摺れの柳」、通称「縁結びの柳」である。

六角堂に深く帰依していた嵯峨天皇があるとき「姿も心も類い希なるほど美しい女性を妃として与えて欲しい」と祈願した。すると、夢の中に如意輪観音が現れ「すぐに勅使を六角堂に差し向けるが良い。御堂の前にある柳の木の下に女人有り。宮中へ入れるべし」とのお告げがあった。早速六角堂へ勅使をやると、本当に柳の木の下に美しい女性が一人いた。そこで妃としたが、多くの人からあがめられるほどの女性であったという。

<用語解説>
◆聖徳太子と四天王寺
『日本書紀』によると、聖徳太子が物部守屋を倒した時に四天王を刻み、「戦に勝ったならば、四天王を安置する堂宇を建てる」祈願をしたことから、四天王寺は建立されている。建築を開始したのは593年のことなので、この伝承もその時のものと考えられる。

◆池坊
聖徳太子が沐浴した泉にちなんで名付けられた塔頭。この池坊の僧が六角堂の本尊である如意輪観音に花を供える役目を担っており、室町中期頃に池坊専慶(小野妹子の末裔と言われる)が花生けで有名となる。その後、池坊を華道家元として様式が確立され、現在に至る。

◆嵯峨天皇
786-742。第52代天皇。三筆の一人。嵯峨天皇の夫人は約20名ほどおり、具体的には誰を指した伝承であるかは不明である。ただし皇后である檀林皇后は類い希なる美女であると言われており、おそらくそれが念頭にあっての伝承であると考えるべきだろう。

アクセス:京都市中京区六角通東洞院西入ル堂之前町