鵺大明神

【ぬえだいみょうじん】

二条城の北西にある児童公園のそのまた北西に小さな社がある。ちょうど真向かいにNHKの京都放送局があるところ。この小さな社が鵺大明神である。

今から850年ほど前の平安末期。丑の刻頃になると、東三条の森の方から黒雲が湧き上がり、御所の上空を覆い尽くした。しかもその黒雲からは妖しげな鳥 の声がする。高倉天皇(一説には近衛天皇)はその不気味な声のために心労甚だしく、ついにその怪鳥を退治するよう源頼政に命じたのである。

真夜中、いつものように黒雲が湧き上がってくると、頼政は弓をつがえて黒雲目掛けて矢を放つ。すると雲の中から何かが落ちて来るではないか。従者の猪早太がそれにとどめを刺してみてみると、頭は猿、胴は狸、尾は蛇、手足は虎という怪物であった。

この怪物が<鵺>と呼ばれるものなのであるが、実はこの怪物には本当の名前はないのである。天皇を悩ませてきた怪物の鳴き声が鵺という鳥にそっくりだったので、勝手に鵺という名前で呼ぶことになったのである。ただしこの鵺という鳥の鳴き声は元来忌むべきものと見なされており、その点では妖しい存在の代名詞には適任だったのだろう。

この怪物が空から落ちてきて、さらに頼政が血の付いた鏃(やじり)を洗ったとされるのが、この社の隣にある“鵺池”である。

鵺池は児童公園の一角にあり、その石が積まれた形から、馬蹄形をしているのが判る。

鵺大明神のそばには全文漢文で刻まれた「鵺池碑」があり、先祖である源頼政の功績を顕彰している。しかし、この鵺大明神は大変新しいもので、昭和9年(1934年)に鵺池のある二条公園が整備された時に同時に祀られたものであるという。

<用語解説>
◆源頼政
1104-1180。源氏として破格の従三位に叙せられたため“源三位”とも言われる。源氏ではあるが、平清盛の信を得て平氏政権下においても厚遇された。しかし以仁王の打倒平家の挙兵に加わり、宇治平等院で敗死。鵺退治については、先祖である源義家が弓で魔物を退散させた故事にちなんで、一門で武名高い頼政が指名されたことになっている。

◆鵺池碑
碑には「元禄庚辰(1700年)に京都所司代の松平紀伊の家臣が建てた」ことが記載されており、篠山藩の松平信庸の時であると判る。この地は江戸期においては京都所司代の敷地内であり、池もその屋敷の中にあったものとされる。ただ鵺にまつわる伝承はしっかりと残されていたと言えるだろう。

アクセス:京都市上京区智恵光院通丸太町下ル主税町