鉄輪井戸
【かなわのいど】
昔、堺町松原下ルに夫婦が住んでいた。ところが夫が浮気をし、嫉妬深い妻は怒り狂い、ついには呪いの願掛けに走った。顔に朱をさし、身体に丹(赤色の絵の具)を塗り、頭には鉄輪(三本の足を持つ鉄の輪)をかぶり、その三本の足には蝋燭、口に松明をくわえ、丑の刻に向かう先は貴船神社……
呪詛の満願は七日であったが、その六日目に女はついに力尽きたのか、自宅近くの井戸のそばで息絶えていた。哀れに思った者がかぶっていた鉄輪を塚と見立てて葬り、やがてその井戸は「鉄輪井戸」と呼ばれるようになった。
そして一つの伝説が生まれた。この「鉄輪井戸」の水を飲ませると、どんな縁でも切れるという。その噂は広く知られるようになり、多くの人が水を求めてこの地を訪れたということである。
室町時代後半になって、鉄輪井戸の伝説は完成を見る。
夫の浮気に嫉妬した女は、呪い殺すために貴船神社へ丑の刻参りを行う。数日後、異変を感じた夫は陰陽師・安倍晴明を頼って逃げ込む。晴明は等身大の人形を作り、呪術を駆使する。そこへ鬼と化した女が現れるが、結局神々の力で退散してしまう。
この話は、能楽の謡曲として広く知られるようになり、またここに登場する鉄輪の女は“丑の刻参り”のオリジナルとして、その姿形は語り継がれることになる(そのルーツを辿ると「橋姫伝説」に行き着くことになる)。
ここまで有名な鉄輪井戸であるが、ところが、簡単には見つからない。『鐵輪跡』と刻まれた碑だけが頼りである。そして井戸は民家の敷地内にある。個人の表札が掲げられた格子戸をくぐり、更に奥へ約10メートル入った場所である。
井戸は既に金網に覆われ、もはや縁切りの水は汲めない状態にあるようである。だが、その井戸の上には鉄輪の由来書が置かれ、更に水に関する注意書きが置かれてあった。ということは、今でも縁切りのためにわざわざ足を運ぶ人間が存在する訳である。
江戸時代になって、縁切りの鉄輪井戸ではよろしくないということで、その隣に稲荷明神が祀られるようになった。その御利益は「縁結び」。強力な縁切りの効果は、逆に強力な縁結びに通じるという発想である。だが、その稲荷神社も江戸末期には焼け落ち、町内の総意のもとで昭和に入ってようやく再建されることになった。そしてそのときにも、夫婦和合・福徳円満の神として祀られた。その名を命婦(みょうぶ)稲荷神社という。
<用語解説>
◆橋姫伝説
『平家物語』の“剣の巻”にある逸話。鬼女になりたいと貴船社に祈った女が、宇治川に21日間浸かれば鬼女になれるとの神託を受けて実行し、本当に鬼女と化した(上に挙げる装束は貴船ではなく、宇治川へ向かう時のものである)。その後、鬼女は都に舞い戻り人々を殺害し、暴れ回った。頼光四天王の一人・渡辺綱は夜半一条戻り橋で女性と会うが、それが鬼女であり、綱は襲われるものの片腕を切り落として難を逃れる。つまり、この鬼女が茨木童子と同一の鬼であるということになる。
ちなみに、丑の刻参りで有名な“五寸釘と藁人形”は後世の約束事(おそらく江戸時代以降の習慣)であり、謡曲の『鉄輪』も含めてこれらのアイテムは出てこない。
アクセス:京都市下京区堺町通松原下ル鍛冶屋町