弁慶石

【べんけいいし】

京都の繁華街寺町三条からさらに西へ進み、麩屋町(ふやちょう)通りとの辻にその石はある。何かの石碑であるかのように、ビルの敷地内に美しく飾られている。

“弁慶石”という名の通り、この石の謂われには武蔵坊弁慶の存在がある。だが決定的な由来は判然としないという。

由来書きによると、この石は奥州衣川から運ばれてきたものであるという。衣川と言えば、いわずと知れた弁慶終焉の地である。この石は衣川で弁慶が愛玩していたものと言われている。この石が「京都に帰りたい」と泣き、熱病が蔓延するために、室町期に京都へ運ばれたらしい。しかし、なぜ三条京極付近に置かれたのか、全く見当がつかない(幼少の頃ここに住んでいたとも言われているが)。

しかし他の説に耳を傾けると、この石は鞍馬口にあったものが洪水でこの地に流れ着いたとも、弁慶が比叡山からぶん投げたとも言われている。そればかりか“弁慶石”なるものが京都には複数あったという説まである。

男の子がこの石を触ると力持ちになるという言い伝えが、古くから残されている。しかし現在の地に置かれたのは、実は昭和になってからである。しかも有志が勧請してここへ持ってきたにもかかわらず、長らくガレージの前に庭石よろしく無造作に置かれてあり、このように史跡扱いされるようになったのは、このビルが出来た時からである。

<用語解説>
◆武蔵坊弁慶
?-1185。源義経の忠臣。『吾妻鏡』に名が記載されているので実在の人物であるとされるが、その事跡のほとんどは伝説である。しかしその伝説は全国各地に多く残されている。
京都に残る伝説では、比叡山の僧時代に千本の刀を奪う大願を立て、最後に五条大橋で源義経に臣従する話が有名である。

アクセス:京都市中京区三条通麩屋町東入ル弁慶石町