東京競馬場

【とうきょうけいばじょう】

昭和8年(1933年)11月に開設。それまで東京の競馬開催地は目黒競馬場であったが、近隣が住宅地化して拡張が出来ないため、この府中に移転させたのが始まりである。この移転の際に問題となったのが、敷地内にある“墓”である。

墓の主は井田摂津守是政。祖先は鎌倉時代の御家人まで遡ることの出来る名門であり、是政は豊臣時代に帰農して一帯を開墾して村を興した人物である。競馬場建設にあたって墓も移転と決まったが、井田家は拒否。強制代執行が行われようとしたところ、親族が日本刀を振りかざして抵抗したために、ついに都の史跡指定を受けて保存されることになったのである。

是政塚と呼ばれるこの墓は今でも東京競馬場内にある。第3コーナーから第4コーナーに向かうあたり、馬場に不釣り合いなぐらい大きな木がある。「大欅」と呼ばれるこの木(本当は欅ではなく榎)の根元辺りに墓がある。ただしこの場所は関係者以外は立ち入り禁止であり、年に1回競馬関係者が供養を執りおこなっている。

この墓が移転されなかった原因とされる、まことしやかな噂がある。現在残っているもの以外にも何本かの大木があったのだが、それらを伐り倒した業者が数名(3名とも)急死しているとされる。これが井田是政の祟りであるとされ、観客席から一瞬馬群が見えなくなるにもかかわらず、この大木は取り除かれることがないのである。

そして競馬を知っている人であれば、この巨木が1つの禁忌として扱われていることを知っているだろう。「魔の第3コーナー」と呼ばれ、過去にこの場所で多くの落馬事故や予後不良となる馬が出ている。(第3コーナーそのものがレースの勝負所であり、カーブしているにもかかわらず相当なスピードで馬を走らせるために事故が起こる確率が高いという説もある。また京都競馬場など、東京競馬場よりも遙かに事故が多い競馬場もあるため、一概にこの場所が呪われているとは言い難いだろう。)

東京競馬場の正門前には、かつての名馬の名が刻まれた墓碑があり、競走馬の冥福を祈るための馬霊塔がある。さらにその脇には馬頭観音像が建てられており、不思議な空間を生み出している。

<用語解説>
◆井田摂津守是政
生没年不詳。北条氏照の家臣であったが、豊臣秀吉の小田原攻めで北条氏が滅亡すると帰農し、府中一帯を開墾して村を興した。このため東京競馬場周辺には「是政」という地名が多数残っている。

◆馬頭観音
観音菩薩の化身の1つであり、六観音の1つ。憤怒の相をしており、馬の頭飾りをつけ、悪魔を下す力を示すとされる。その名から馬の守護神、また広く畜類の守護神とされる。

アクセス:東京都府中市日吉町