鳴岩

【なきいわ】

住宅地の外れの草原にこの巨石はある。地表に出ている部分の大きさは、長さ8m、幅7m、高さ5mとされるらしい(案内板には長さ20m、幅10m、高さ9mとあるが、実際にはそれほどの大きさではなかった)。

特徴的なのは、一直線に打ち込まれた“矢穴”の跡。これは後方部分にもある。伝説によると、石屋が割ろうと矢穴を穿ったところ、突然岩が鳴り(泣き)出したため気味が悪くなってそのまま放置した。なきだした岩だから「鳴岩」と呼ぶようになったという。

ただ案内板には信憑性が高い説として、矢穴を開けることで、夏の暑い盛りに滲み出てくる水銀を採取していたが、それが採れなくなったので“亡きがら岩”と呼んでいたのが転訛して“鳴岩”となったという。

一説では、この付近でおこなわれた備中高松城の水攻めの際に用いようとした巨石を放置したものであるとも言われている。

<用語解説>
◆矢穴
城の石垣を割り出す時に用いられた工法。写真にあるように、一直線にのみで岩に穴を開け、そこに矢(くさび)を打ち込んでひびを入れて割る。城の石垣にもその跡を見ることが出来る。ただし、水銀採取の方法として“石を穿つ”というものがあるかは確認できていない。

◆備中高松城の水攻め
天正10年(1582年)、羽柴秀吉が毛利家臣・清水宗治を攻めた戦い。川の水を引いて城周辺を水没させて孤立させた。鳴岩の近くには鳴谷川(現・砂川)が流れており、この川も城攻めの折に堰き止め工事をおこなっていたことが分かっている(最終的には未完成)。

アクセス:岡山県岡山市北区大窪