田島神社

【たじまじんじゃ】

肥前国最古の神社と言われ、田心姫命・市杵島姫命・湍津姫命を祀る。これらは田島三神と称されるが、宗像大社の宗像三女神と同じ神である。

社殿は北西を向いており、その先の遥か海上には壱岐がある。また海から続く参道もあり、まさしく海の神であり、海上交通によって結ばれた大陸との要衝の地に置かれた古社である。

この神社の境内社には、松浦佐用姫伝説の佐與姫神社がある。遠征のために朝鮮半島へ発った大伴狭手彦との別れを惜しんだ佐用姫は、鏡山で領巾を振って船を見送っていたが、さらに船を追って加部島のこの地までやって来たという。そして別離に悲しみくれた姫は七日七晩泣き明かし、そのまま石と化す。それが望夫岩と言われ、現在はこの佐與姫神社の床下に安置されている。

またこの神社には、肥前守在任中の源頼光が寄進した頼光鳥居(佐賀県最古の鳥居)や、朝鮮出兵の際に訪れた豊臣秀吉が大願成就を祈念して割った太閤祈念石がある。

<用語解説>
◆松浦佐用姫伝説
第28代宣化天皇2年(537年)に任那・百済の救援のために遣わされた大伴狭手彦が、肥前滞在中に地元豪族の娘・佐用姫と恋仲となるが、最終的に別離を迎えるという悲恋の伝説。上の伝説は『万葉集』で歌われた内容であるが、『肥前国風土記』では、その別れの後に狭手彦とよく似た男に魅せられるが、それは鏡山の沼の大蛇の化身であり、最後は沼に引き込まれて死んでしまったとされる。

◆源頼光
948-1021。大江山の酒呑童子退治や土蜘蛛退治で有名。肥前守任官は正暦2年(991年)。この時、四天王の一人、渡辺綱を伴って下向し、綱が当地で儲けた子が松浦氏の祖となったとされる。

アクセス:佐賀県唐津市呼子町加部島